創設から50年以上が経過した日本の男女ゴルフツアー。これまで多くの海外選手が海を渡り日本ツアーにやってきた。そこで、記憶に残る名プレーヤーたちを写真で振り返る。今回は、7度の賞金女王に輝いたト阿玉。
渋野日向子のドライバースイングはプロコーチもビックリ【連続写真】
1970年代初頭から日本ツアーに参戦し、広く名が知れ渡った外国人選手の草分け的存在といえば、まず思いつくのはこの選手だろう。日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の準会員となって以降、積み重ねた勝利数は実に『58』。入会前にも11度の優勝を誇り、名実ともにナンバー1外国人選手といえる。
1954年に台湾で生まれ、中学卒業後にキャディとして就職。17歳で本格的にゴルフを始めると、すぐに才能が開花した。74年にプロ転向し、日本ツアーに本格参戦を開始すると同年に初優勝。その後は、無類の強さで計7度、賞金女王を戴冠。82年から86年までの5連続女王は、いまなお語り継がれている。
最終日には上下ピンクのウェアを身にまとい、「ピンクパンサー」の愛称で親しまれた。93年を最後に勝利から遠ざかったが、2002年の「再春館レディース火の国オープン」では、47歳で復活優勝を果たし、周囲を驚かせた。
外国人選手ただ一人の永久シード選手として、16年には日本プロゴルフ殿堂のプレーヤー部門にも選出。歴史に名を刻んだ。
渋野日向子のドライバースイングはプロコーチもビックリ【連続写真】
1970年代初頭から日本ツアーに参戦し、広く名が知れ渡った外国人選手の草分け的存在といえば、まず思いつくのはこの選手だろう。日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の準会員となって以降、積み重ねた勝利数は実に『58』。入会前にも11度の優勝を誇り、名実ともにナンバー1外国人選手といえる。
1954年に台湾で生まれ、中学卒業後にキャディとして就職。17歳で本格的にゴルフを始めると、すぐに才能が開花した。74年にプロ転向し、日本ツアーに本格参戦を開始すると同年に初優勝。その後は、無類の強さで計7度、賞金女王を戴冠。82年から86年までの5連続女王は、いまなお語り継がれている。
最終日には上下ピンクのウェアを身にまとい、「ピンクパンサー」の愛称で親しまれた。93年を最後に勝利から遠ざかったが、2002年の「再春館レディース火の国オープン」では、47歳で復活優勝を果たし、周囲を驚かせた。
外国人選手ただ一人の永久シード選手として、16年には日本プロゴルフ殿堂のプレーヤー部門にも選出。歴史に名を刻んだ。