それでも母国に帰ることを選んだ。「ゴルフのレベルアップをすることより、悩む時間のほうが多くなっていました。その結果、今までのように試合に対して熱く向き合えなくなりました」。人の何倍も持っていたはずの情熱が湧いてこない。勝って涙を流し、負けて涙を流し。そんなこともなくなった。ゴルフだけに向き合うことができない。そんな状況が昨年末から約半年間続いたすえに、決めたという。
熱い気持ちでゴルフに向き合う。それこそが河本の「やりたいゴルフ」であり「自分らしさ」だ。それができない以上、できるような環境を整えることが最優先。逆に言えばそれができなければ成績も残せないのだから。
今でこそバリバリ米ツアーで活躍する仲のいい畑岡奈紗も1年目は同じように苦しみ、父・仁一さんが後にその時のことを「電話が来て、受話器で話していたのは家内でしたが、こちらまで嗚咽が聞こえてきていました」と振り返るほどだった。実力者がそこまで失った自信を取り戻したのは、同じように日本ツアーだった。
2017年、「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝し、「今シーズンは自分のゴルフができずに終わりましたが、ここに来て自分のゴルフを取り戻せました。今日のゴルフができればまた戦えると思います」と攻撃的なゴルフを取り戻した。それでも「練習環境はアメリカのほうがいいですが、移動が大変だったり練習時間を確保することが難しい。まだ自分は伸ばして行かなければいけない部分があると思います。そう考えると日本なのかな、という思いもあります。米7割、日本3割ですね」と一度は答えを保留した。結果としては米ツアーを選んだ畑岡だが、そのくらいアメリカという舞台は過酷なところなのだ。
そして、その経験をしているからこそ、米撤退を報告した河本に対し、自身の経験を話しながら『自分がどういうゴルフをしたいのか、どういうゴルフ人生を歩みたいか。自分で決めるのが一番だよ』と言ったのだろう。
河本も今回の挑戦で必要なもの、生活環境にどうすれば馴染めるのか、そしてどうすれば『自分のゴルフ』を失わずにすむのか。それを求めた結果が日本でやることが最善だと結論を出したのだ。
熱い気持ちでゴルフに向き合う。それこそが河本の「やりたいゴルフ」であり「自分らしさ」だ。それができない以上、できるような環境を整えることが最優先。逆に言えばそれができなければ成績も残せないのだから。
今でこそバリバリ米ツアーで活躍する仲のいい畑岡奈紗も1年目は同じように苦しみ、父・仁一さんが後にその時のことを「電話が来て、受話器で話していたのは家内でしたが、こちらまで嗚咽が聞こえてきていました」と振り返るほどだった。実力者がそこまで失った自信を取り戻したのは、同じように日本ツアーだった。
2017年、「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で優勝し、「今シーズンは自分のゴルフができずに終わりましたが、ここに来て自分のゴルフを取り戻せました。今日のゴルフができればまた戦えると思います」と攻撃的なゴルフを取り戻した。それでも「練習環境はアメリカのほうがいいですが、移動が大変だったり練習時間を確保することが難しい。まだ自分は伸ばして行かなければいけない部分があると思います。そう考えると日本なのかな、という思いもあります。米7割、日本3割ですね」と一度は答えを保留した。結果としては米ツアーを選んだ畑岡だが、そのくらいアメリカという舞台は過酷なところなのだ。
そして、その経験をしているからこそ、米撤退を報告した河本に対し、自身の経験を話しながら『自分がどういうゴルフをしたいのか、どういうゴルフ人生を歩みたいか。自分で決めるのが一番だよ』と言ったのだろう。
河本も今回の挑戦で必要なもの、生活環境にどうすれば馴染めるのか、そしてどうすれば『自分のゴルフ』を失わずにすむのか。それを求めた結果が日本でやることが最善だと結論を出したのだ。