トータル14アンダーと並んでホールアウトした若林舞衣子をプレーオフでくだし、プロ8年目の堀琴音がツアー初優勝を挙げた「ニッポンハムレディス」。勝負を決するパーパットを沈めた後、笑顔をみせたのはほんの一瞬で、すぐに「苦しかった思い出が全部こみあげ、頭が真っ白になった」と両手で顔を覆い涙を流した。ここ数年間続いた“大不振”を乗り越えてたどり着いた今回の優勝劇を、上田桃子らのコーチを務める辻村明志氏はどのように見ていたのか?
優勝を決めた朝もやってました 堀琴音の「すごい原始的」な練習法【写真】
■不振にあえでいた時の堀の状態は…
4日間を通じ、フェアウェイキープ数は56ホール中47回(83.9%)、パーオン数は72ホール中53回(73.6%)。この初勝利を手繰り寄せた大きな要因が、ショットにあることは明白だ。不振も「真っすぐ飛ばなかった」というショットが原因となり引き起こされたもの。正真正銘“スランプ”を脱したと言える4日間だった。辻村氏は、この苦しんでいた時期の堀をこう見ていた。
「2018年は、とてつもないプッシュボールを打つシーンを何度も見かけました。もともと持ち球はハイドローの選手で、しっかり振り抜いて、大きく右に出てもしっかり戻ってくるという球筋。でも苦しんでいた時期は、右45度に飛ぶようなティショットも出ていました。こうなると、多くの選手が手で修正をし始める。その結果、手と足のバランスが失われ、それが大きな振り遅れにつながってきます。思ったよりも手元が浮き、ヘッドが出ず、体が浮いてハイプッシュに…。そんな悪循環に陥っていました」
14年にプロ転向し、翌年には約2930万円を稼ぎ賞金シード入りを果たした。パーオン率を見るとその15年は10位。さらにキャリアハイとなる約7052万を稼いだ16年は8位だった。「この時期はパットで苦しんでいたように見えたけど、これさえ決まっていれば2つ、3つは勝っていたと思う」(辻村氏)というほど、切れのあるショットは生命線だった。しかし、シードこそ守ったものの、堀本人が「終盤頃から(ショットに)違和感を覚えだした」という17年は33位に。そして18年には95位まで落ち込み、シード選手の肩書を失った。
優勝を決めた朝もやってました 堀琴音の「すごい原始的」な練習法【写真】
■不振にあえでいた時の堀の状態は…
4日間を通じ、フェアウェイキープ数は56ホール中47回(83.9%)、パーオン数は72ホール中53回(73.6%)。この初勝利を手繰り寄せた大きな要因が、ショットにあることは明白だ。不振も「真っすぐ飛ばなかった」というショットが原因となり引き起こされたもの。正真正銘“スランプ”を脱したと言える4日間だった。辻村氏は、この苦しんでいた時期の堀をこう見ていた。
「2018年は、とてつもないプッシュボールを打つシーンを何度も見かけました。もともと持ち球はハイドローの選手で、しっかり振り抜いて、大きく右に出てもしっかり戻ってくるという球筋。でも苦しんでいた時期は、右45度に飛ぶようなティショットも出ていました。こうなると、多くの選手が手で修正をし始める。その結果、手と足のバランスが失われ、それが大きな振り遅れにつながってきます。思ったよりも手元が浮き、ヘッドが出ず、体が浮いてハイプッシュに…。そんな悪循環に陥っていました」
14年にプロ転向し、翌年には約2930万円を稼ぎ賞金シード入りを果たした。パーオン率を見るとその15年は10位。さらにキャリアハイとなる約7052万を稼いだ16年は8位だった。「この時期はパットで苦しんでいたように見えたけど、これさえ決まっていれば2つ、3つは勝っていたと思う」(辻村氏)というほど、切れのあるショットは生命線だった。しかし、シードこそ守ったものの、堀本人が「終盤頃から(ショットに)違和感を覚えだした」という17年は33位に。そして18年には95位まで落ち込み、シード選手の肩書を失った。