19年に日本ツアー初優勝を挙げた河本は、その翌年、勢いそのままに米ツアーへ参戦。初戦の「ゲインブリッジLPGAアット・ボカ・リオ」で8位タイに入る活躍を見せたが、コロナ禍での隔離などもあり、その後はなかなか成績を残せず。加えて「生活環境になじむことが難しかった」とプレー以外の部分でも悩みが生まれてゴルフに集中できなくなり、21年5月にツアー撤退を決断。母国での戦いに専念する。
しかし、復帰してからも一度崩れたものを立て直すのは難しく、一瞬良くなってもそれが続かない。復帰後20試合に出場してトップ10はわずかに1度、3試合連続の予選落ちも経験するなど歯がゆい半年間となった。
「後悔まではしていないですが」と前置きしつつ、長かったシーズンを振り返る。「私は40歳くらいまで目標を立てていて、アメリカに行くのは早めた決断でした。そのなかで、つらいというか、嫌な思いもしたし、苦しい思いばかりでした」と心情を吐露する。
現実も受け入れている。「今年一年かけて、今のショットが良くも悪くもできあがった。今のショットが今の実力」。
シードを逃したとしても賞金、もしくはメルセデスランキングで55位以内に入ることができれば来季前半戦の出場権は得ることができ、こちらはほぼ手中に収めている。「年を取った時にあの経験をしておいて良かった、楽しかったと振り返れるように今後の生活を送っていきたい。『一つ遠回りしただけ』と言えるように」。悪かった流れもこれで一区切り。悔しい経験を力に変えて、23歳はもう一回り大きくなる。
しかし、復帰してからも一度崩れたものを立て直すのは難しく、一瞬良くなってもそれが続かない。復帰後20試合に出場してトップ10はわずかに1度、3試合連続の予選落ちも経験するなど歯がゆい半年間となった。
「後悔まではしていないですが」と前置きしつつ、長かったシーズンを振り返る。「私は40歳くらいまで目標を立てていて、アメリカに行くのは早めた決断でした。そのなかで、つらいというか、嫌な思いもしたし、苦しい思いばかりでした」と心情を吐露する。
現実も受け入れている。「今年一年かけて、今のショットが良くも悪くもできあがった。今のショットが今の実力」。
シードを逃したとしても賞金、もしくはメルセデスランキングで55位以内に入ることができれば来季前半戦の出場権は得ることができ、こちらはほぼ手中に収めている。「年を取った時にあの経験をしておいて良かった、楽しかったと振り返れるように今後の生活を送っていきたい。『一つ遠回りしただけ』と言えるように」。悪かった流れもこれで一区切り。悔しい経験を力に変えて、23歳はもう一回り大きくなる。