原田:プロテストを受けることを決めた時から、一発合格とトッププロになることを考えていました。1勝したら、次はメジャー(公式戦)優勝、という風にどんどん目標が高くなっていった。
藤田:私は行き当たりばったりです。なるようにしかならないと思ってるから。プロになった時から引退すること考えてましたからね。
原田:ずいぶん違うな〜。私はアメリカにも行ってみたい、というおぼろ気な夢はあったんだけど、そのとき小林浩美さん(現JLPGA会長)に言われたんですよ。「英語しゃべれないなら厳しいよ」って。だから、メジャーの出場権があった時だけのスポット参戦にしたんです。アメリカは刺激的なところでした。でも、プロをやめることはあまり考えてなかったな。36歳で結婚したあとも、試合に出てました。だんだん稼げなくなってきて潮時かな、と思ったりもしたけど、結局45歳まで出てたからね。
藤田:22歳で引退する、って思ってたんです。ちょうど、大学を卒業する年だから。だからフジサンケイレディスで優勝した時(2015年)の涙は、うれし涙じゃないんです。大変な思いをしてプロテストやQTをやったけど、できないと思ってたレギュラーツアーに優勝できて「ゴルフ人生のゴールだ」っていう涙だったんです。それまでがつらかったから。
原田:うわぁ、全然違うね。潔いなぁ。優勝できないと思ってたの?
藤田:他と北海道はレベルが全然違うと思ってましたからね。22歳か23歳で結婚して子供産んで、って考えていたんですけど、もうその理想の年齢は過ぎたので(笑)、生きたいように生きていけばいいんじゃないかな、と思ってます。決めたことはちゃんとやりたい性格なので、それがズレると崩壊しちゃうんですよ。だから決めないで、生きたいように。人に必要とされる人間でありたい、と思っています。ゴルフをやってるから、じゃなくて、人間として。
藤田:私は行き当たりばったりです。なるようにしかならないと思ってるから。プロになった時から引退すること考えてましたからね。
原田:ずいぶん違うな〜。私はアメリカにも行ってみたい、というおぼろ気な夢はあったんだけど、そのとき小林浩美さん(現JLPGA会長)に言われたんですよ。「英語しゃべれないなら厳しいよ」って。だから、メジャーの出場権があった時だけのスポット参戦にしたんです。アメリカは刺激的なところでした。でも、プロをやめることはあまり考えてなかったな。36歳で結婚したあとも、試合に出てました。だんだん稼げなくなってきて潮時かな、と思ったりもしたけど、結局45歳まで出てたからね。
藤田:22歳で引退する、って思ってたんです。ちょうど、大学を卒業する年だから。だからフジサンケイレディスで優勝した時(2015年)の涙は、うれし涙じゃないんです。大変な思いをしてプロテストやQTをやったけど、できないと思ってたレギュラーツアーに優勝できて「ゴルフ人生のゴールだ」っていう涙だったんです。それまでがつらかったから。
原田:うわぁ、全然違うね。潔いなぁ。優勝できないと思ってたの?
藤田:他と北海道はレベルが全然違うと思ってましたからね。22歳か23歳で結婚して子供産んで、って考えていたんですけど、もうその理想の年齢は過ぎたので(笑)、生きたいように生きていけばいいんじゃないかな、と思ってます。決めたことはちゃんとやりたい性格なので、それがズレると崩壊しちゃうんですよ。だから決めないで、生きたいように。人に必要とされる人間でありたい、と思っています。ゴルフをやってるから、じゃなくて、人間として。