原田:36歳くらいから飛ばなくなって、スイングがおかしくなって、視力も悪くなってラインも読みづらい。クラブを変えて練習しても練習してもうまくいかなくなった時は、そろそろなのかな、って思ったりしましたね。子供もほしかったけど、子宝には恵まれなかった。日大時代の同級生だった田中ウルヴェ京さん(1988年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング デュエット銅メダリスト。スポーツ心理学者)がJLPGAのセミナーに講師として来てくれた時に言われたの。「アスリートは自分が丈夫だと思っているけど、体を酷使しているからそのあと大変なんです」って。選手として賞金女王にもなりたかったし、女子オープンにも勝ちたかったけど、7勝できたのはよかったかな、って思いますね。
―賞金女王争いの末ランキング2位が2回(96、98年)と、女子オープンも96年は高村亜紀さんに1打差2位。惜しかったですよね。
原田:そのあとは理事を続けていたけど、この先もゴルフに携わっていきたいとは思っています。
藤田:私は選択肢がある人生がいいと思っています。これからでも、先生という新しい世界を一からできる可能性もあればいい、って。
原田:ゴルフを通じて、色々なことを世の中に還元できたらいいかな、と思います。「ゴルフに恩返ししたい」っていう人が多いんですけど、私にはあまりピンとこなかったんです。でも、今になって思うのは、私のできることを試行錯誤しながら、ゴルフを通じて発信していけたらいいかな、と思っています。このコラムのようにね。
―素敵なお話をたくさん、ありがとうございました。
―賞金女王争いの末ランキング2位が2回(96、98年)と、女子オープンも96年は高村亜紀さんに1打差2位。惜しかったですよね。
原田:そのあとは理事を続けていたけど、この先もゴルフに携わっていきたいとは思っています。
藤田:私は選択肢がある人生がいいと思っています。これからでも、先生という新しい世界を一からできる可能性もあればいい、って。
原田:ゴルフを通じて、色々なことを世の中に還元できたらいいかな、と思います。「ゴルフに恩返ししたい」っていう人が多いんですけど、私にはあまりピンとこなかったんです。でも、今になって思うのは、私のできることを試行錯誤しながら、ゴルフを通じて発信していけたらいいかな、と思っています。このコラムのようにね。
―素敵なお話をたくさん、ありがとうございました。