飛距離のある福嶋晃子さんと最終組でプレーしたのですが、平均して30ヤードから50ヤード、時には80ヤードくらいティショットで置いて行かれていました。当時、番手が6つくらい違うこともあった私でしたが、それでもチャレンジしがいのあるコースを楽しくプレーして優勝できたのですから、ゴルフは面白いものです。無理をすることなく、自分のゴルフはこういうもの、というプレースタイルをきちんと貫いて結果を出せた試合でした。
歳月が流れ、クラブは進化し、選手たちの飛距離も当時とはだいぶ違っています。セッティングと天候次第ですが、ピート・ダイ設計のコースは、やはりコースマネジメントが大切になります。キチンとフェアウェイをキープして、落とすべきところに落とせることに加えて、スピンコントロールまできちんとできる選手が上位に来るのではないでしょうか。
当時の3日間とは違って現在は4日間大会。72ホール徹底したマネジメントができた選手が笑うことになるのでしょう。翌週の「全米女子オープン」に出場する選手の中には、リゾートトラストを欠場する選手もいることでしょう。残念ですが、いつもとは違う様相になると思えばそれはそれで興味深いのではないでしょうか。
ツアー7勝目となったこの大会優勝当時の私は31歳。円熟期と言えばいいのでしょうか笑。まだまだバリバリ結果を出すつもりでいたのですが、残念ながらこれが最後の優勝になってしまいました。この年は2勝して、賞金ランキング2位になっておりますが、人生の分岐点と言いますか、お年頃でしたのでいろいろなことを考えてしまった時期でもありました。考え方は人それぞれですが、せっかくの舞台でプレーを続けられるのなら、できるだけ長くプレーしてくれる選手が多いといいなぁ、と思う今日この頃です。
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。名門・日大ゴルフ部にで腕を磨き1989年のプロテストに合格。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。通算7勝。その後は日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力し21年3月まで理事を務めた。
歳月が流れ、クラブは進化し、選手たちの飛距離も当時とはだいぶ違っています。セッティングと天候次第ですが、ピート・ダイ設計のコースは、やはりコースマネジメントが大切になります。キチンとフェアウェイをキープして、落とすべきところに落とせることに加えて、スピンコントロールまできちんとできる選手が上位に来るのではないでしょうか。
当時の3日間とは違って現在は4日間大会。72ホール徹底したマネジメントができた選手が笑うことになるのでしょう。翌週の「全米女子オープン」に出場する選手の中には、リゾートトラストを欠場する選手もいることでしょう。残念ですが、いつもとは違う様相になると思えばそれはそれで興味深いのではないでしょうか。
ツアー7勝目となったこの大会優勝当時の私は31歳。円熟期と言えばいいのでしょうか笑。まだまだバリバリ結果を出すつもりでいたのですが、残念ながらこれが最後の優勝になってしまいました。この年は2勝して、賞金ランキング2位になっておりますが、人生の分岐点と言いますか、お年頃でしたのでいろいろなことを考えてしまった時期でもありました。考え方は人それぞれですが、せっかくの舞台でプレーを続けられるのなら、できるだけ長くプレーしてくれる選手が多いといいなぁ、と思う今日この頃です。
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。名門・日大ゴルフ部にで腕を磨き1989年のプロテストに合格。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。通算7勝。その後は日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力し21年3月まで理事を務めた。