右足に体重を残してしまい、ヘッドが下から入っていた。それを強制的に左に乗る動作を加えて矯正。だが、クセというものはなかなか抜けないものだ。悪いクセは再び顔を出した。それは連戦の疲れからだったのかもしれない。
木村は南と、今シーズンが始まる前に「どこで優勝をするのか」話し合ったという。ふたりの結論は『アース・モンダミンカップ』だった。見事に目標を達成したわけだが、その目標達成のための『ニチレイレディス』でのキャディだったのだという。そして、スプリットハンド素振りは「左サイドに乗れていても、ヘッドが遅れてくることがあります。体の正面にクラブをキープして振ることが大事。それを意識してほしくてアドバイスしました」と、南。木村はその後、ショットの前に必ずスプリットハンドでの素振りを繰り返したという。見事な速効アドバイス、師弟のキャッチボールだった。患部を直接的に治すのではなく、意識せずに動作が矯正される助言であり、その言葉を信じて愚直に実践した結果の勝利だった。
実は木村と南は興味深い出会いをしている。17年に「ステップ・アップ・ツアーでいいスイングをしている選手がいるな、と思っていたんです。それで『ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ』に行ったときに木村さんが出場していたので見にいきました。硬いグリーンでもボールを止めて、いいゴルフをしていました。あのとき木村さんは8位タイに入りました。その後、試合でおかしな表情をするようになっていったんです。下から(クラブが)入るクセが出ていました」と、南が明かす。
その後、19年に木村が知り合いを通して南に弟子入りをお願いすることになったのだが、最初は師匠である南のほうから見初めていたのだ。
木村にはJGAナショナルチームから声がかかるなど、アマチュア時代のきらびやかな実績はない。プロ入り前は時給1000円で中古ゴルフショップの販売員をしており、球を打ち続けられるゴルフ三昧(ざんまい)の環境にいたわけではない。言ってみれば、雑草魂のプロゴルファー。だからこそ、見る者をワクワクさせる。
初優勝を遂げたときに高級外車の購入を巡る話題がニュースになったが、金持ちの贅沢(ぜいたく)だと思うなかれ。雑草だからこそ、子どものころからの夢だった高級外車なのだ。これから、木村が高級外車を何台そろえていくのか。私は楽しみでならない。(文・河合昌浩)
木村は南と、今シーズンが始まる前に「どこで優勝をするのか」話し合ったという。ふたりの結論は『アース・モンダミンカップ』だった。見事に目標を達成したわけだが、その目標達成のための『ニチレイレディス』でのキャディだったのだという。そして、スプリットハンド素振りは「左サイドに乗れていても、ヘッドが遅れてくることがあります。体の正面にクラブをキープして振ることが大事。それを意識してほしくてアドバイスしました」と、南。木村はその後、ショットの前に必ずスプリットハンドでの素振りを繰り返したという。見事な速効アドバイス、師弟のキャッチボールだった。患部を直接的に治すのではなく、意識せずに動作が矯正される助言であり、その言葉を信じて愚直に実践した結果の勝利だった。
実は木村と南は興味深い出会いをしている。17年に「ステップ・アップ・ツアーでいいスイングをしている選手がいるな、と思っていたんです。それで『ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ』に行ったときに木村さんが出場していたので見にいきました。硬いグリーンでもボールを止めて、いいゴルフをしていました。あのとき木村さんは8位タイに入りました。その後、試合でおかしな表情をするようになっていったんです。下から(クラブが)入るクセが出ていました」と、南が明かす。
その後、19年に木村が知り合いを通して南に弟子入りをお願いすることになったのだが、最初は師匠である南のほうから見初めていたのだ。
木村にはJGAナショナルチームから声がかかるなど、アマチュア時代のきらびやかな実績はない。プロ入り前は時給1000円で中古ゴルフショップの販売員をしており、球を打ち続けられるゴルフ三昧(ざんまい)の環境にいたわけではない。言ってみれば、雑草魂のプロゴルファー。だからこそ、見る者をワクワクさせる。
初優勝を遂げたときに高級外車の購入を巡る話題がニュースになったが、金持ちの贅沢(ぜいたく)だと思うなかれ。雑草だからこそ、子どものころからの夢だった高級外車なのだ。これから、木村が高級外車を何台そろえていくのか。私は楽しみでならない。(文・河合昌浩)