「コースのなかでは、見た目とは違う金田さんがいます。ゴルフに対して貪欲で真面目。それは同じフィールドで戦っている人はみんな知っている。他の人以上に必死にゴルフに向き合うんです」(辻村氏)。これが“人間味”。だからこそ、心からの拍手はやまない。
■ジュニアスイングからの脱皮
ここ数年“天才少女”から“大人”へと脱皮しようと、もがく姿も見てきた。辻村氏いわく、プロ入りから長らく金田のスイングは「ジュニアスイング」だったという。「力がない子どもの時に覚えるスイングは、どうしてもクラブに振り負けるというか、体幹がないからダウンスイングで右サイドが大きく落ち“ギッタンバッコン”してしまいます。そういう要素を持ちながらのプロ転向でした」。しかし、これではいずれ限界が来る。
自他ともに認める感覚派。プロ転向から数年は「そこまでに培ったスイングで結果を出そうとしてるように見えた」とも辻村氏はいう。それが変わったと感じられるようになったのは、5年ほど前のこと。「ジュニア時代の“感覚だけ”で“レベルスイングも取り入れてない”」フォームを『変えたい』という意識が感じ取れるようになった。
金田は優勝会見で、一番つらかった時期を聞かれ「6年ほど前」と回答。「ドライバーでキャリー140ヤードのチーピンしか打てない。フェアウェイにあって、大きいグリーンでもセカンドショットが乗らない。50センチのパットも入らない時期。こんな恥ずかしいゴルフなら、やっててもしょうがないんじゃないかなってずっと思ってました」。この頃は、ゴルフ場に行くだけでじんましんができるほど苦しんでいたとも。17年にシード喪失。ちょうど、辻村氏のいう変化の時期と符号する。
「プロになると『このスイングでは長持ちしない』と考えないといけない。金田さんは、その壁の連続だったはずです」。辻村氏は、ここまでの道のりをこう想像した。しかし、その5年ほど前から「感覚だけのスイング」から脱しようとする姿が見られるようになる。プロが長年慣れ親しんだスイングを、一から変えようとすることについて、辻村氏は「一回死んだような気持ちにならないと始められない」と表現する。もう元に戻れないリスクを背負いながらの取り組みになるからだ。
■ジュニアスイングからの脱皮
ここ数年“天才少女”から“大人”へと脱皮しようと、もがく姿も見てきた。辻村氏いわく、プロ入りから長らく金田のスイングは「ジュニアスイング」だったという。「力がない子どもの時に覚えるスイングは、どうしてもクラブに振り負けるというか、体幹がないからダウンスイングで右サイドが大きく落ち“ギッタンバッコン”してしまいます。そういう要素を持ちながらのプロ転向でした」。しかし、これではいずれ限界が来る。
自他ともに認める感覚派。プロ転向から数年は「そこまでに培ったスイングで結果を出そうとしてるように見えた」とも辻村氏はいう。それが変わったと感じられるようになったのは、5年ほど前のこと。「ジュニア時代の“感覚だけ”で“レベルスイングも取り入れてない”」フォームを『変えたい』という意識が感じ取れるようになった。
金田は優勝会見で、一番つらかった時期を聞かれ「6年ほど前」と回答。「ドライバーでキャリー140ヤードのチーピンしか打てない。フェアウェイにあって、大きいグリーンでもセカンドショットが乗らない。50センチのパットも入らない時期。こんな恥ずかしいゴルフなら、やっててもしょうがないんじゃないかなってずっと思ってました」。この頃は、ゴルフ場に行くだけでじんましんができるほど苦しんでいたとも。17年にシード喪失。ちょうど、辻村氏のいう変化の時期と符号する。
「プロになると『このスイングでは長持ちしない』と考えないといけない。金田さんは、その壁の連続だったはずです」。辻村氏は、ここまでの道のりをこう想像した。しかし、その5年ほど前から「感覚だけのスイング」から脱しようとする姿が見られるようになる。プロが長年慣れ親しんだスイングを、一から変えようとすることについて、辻村氏は「一回死んだような気持ちにならないと始められない」と表現する。もう元に戻れないリスクを背負いながらの取り組みになるからだ。