残り13ホールで8打差をひっくり返す、とんでもない大逆転だった。青木瀬令奈は最終18番ホールで1.5メートルのウイニングパットを決めると、控えめに手を上げてギャラリーの拍手に応えた。劇的な勝利だったはずなのに、喜びを爆発させていない。むしろ違和感を覚えた。そのときの青木の口元を見てみると、「勝った?」と言っているのだ。
なぜ青木瀬令奈はウイニングパットを決めて「勝った?」と言ったのか【大西翔太コーチに聞く】
ウイニングパットを決めた瞬間、最終組の青木瀬令奈は自分が勝ったことがわかっていなかった。その真相をキャディ兼コーチを務めた大西翔太氏に聞く。
配信日時:2023年3月21日 05時46分
残り13ホールで8打差をひっくり返す、とんでもない大逆転だった。青木瀬令奈は最終18番ホールで1.5メートルのウイニングパットを決めると、控えめに手を上げてギャラリーの拍手に応えた。劇的な勝利だったはずなのに、喜びを爆発させていない。むしろ違和感を覚えた。そのときの青木の口元を見てみると、「勝った?」と言っているのだ。
最終日最終組はトータル13アンダーで首位の上田桃子と、4打差のトータル9アンダー・2位タイの青木と稲見萌寧の組み合わせ。上田が1番からショットをピンに絡ませて5連続バーディ。5ホール終わった時点で青木と上田の差は8打に開く。残りはまだ13ホール残っていたが、追う選手たちの気持ちが折れてもおかしくないほど、上田は圧倒的な雰囲気をまとっていた。
しかし、青木には2位争いという気持ちは微塵もなく、「最初が良いと、そのまま良い日で終わることもあると思う。でも私の経験上、優勝争いしているなかで一日苦しい場面がないことはきっとない。桃子さんがすごくいい滑り出しをして、もしかしたら後半厳しくなってくるかもしれない。逆に私が後半伸ばせばチャンスはある」と冷静に考えていた。
青木は前半3つのバーディを奪い、上田とは5打差でサンデーバックナインに入る。すると、試合はまさに青木が言ったとおりの展開に。10番から13番までの4ホールで3つのバーディを奪った青木に対し、上田は2つのダブルボギーを打ち、試合が一気にひっくり返ったのだ。ここで青木が衝撃の事実を明かす。
「後半はスコアボードを見ずに回っていました」
13番のバーディで青木が2打差の首位に躍り出たのだが、本人はわかっていないため、それ以降も手綱を緩めることはなかった。もちろん、目の前で上田のプレーを見ているから、なんとなくは感じていたかもしれない。しかし、笹生優花や原英莉花が猛烈に追い上げていることは、途中のスコアボードを見なければ、把握することはできないだろう。
ここで冒頭のウイニングパットを決めたシーンに戻る。2位の笹生はトータル13アンダーでホールアウトしていたため、トータル17アンダーの青木はたとえこれを外しても優勝という場面だった。「最後のパットも『ボードを見ていい?』とコーチに聞いたら、『まだダメ』と言われたので(笑)。もしかしたら入れなかったらプレーオフがあるのかと思った」と本人は振り返る。
もちろん18番グリーンの横には大きなスコアボードがある。最後の最後でもまだ自分が首位なのか、何打差なのかはわかっていなかった。1.5メートルのパーパットを決ると、青木の優勝がわかっているギャラリーからは大きな拍手。ここで「『勝った?』と聞いて(笑)、『勝ったよ』と」。それが控えめなアクションの真相だった。
なぜ青木に後半からスコアボードを見せなかったのか? 隣で声をかけ続けたキャディ兼コーチの大西翔太氏に聞いた。
「理由はいたってシンプルです。どんな順位であっても、パフォーマンスを発揮することにおいて、心構えや整え方はいつも同じ状態を作るのがベストだと思っています。最大の敵は自分自身。スコアボードを見て自分の順位を把握した途端に力んでしまったり、いつものパフォーマンスが発揮できない可能性がある。目の前の一打にフォーカスしてやりきることが結果につながることだと思っています」
『最大の敵は自分自身』。これは青木も優勝会見で何度も口にしていた言葉だ。最後の少し長いパーパットを決めて、3日間54ホールボギーなしという記録もついてくるのだが、青木はそれすらも頭になく、「まったく意識せずに3日間回れたのがすごく良かったと思います」と話している。
結果的にいえば、最後は1.5メートルから4パットしても優勝できる状況。それでも大西氏は最後の一打に意味を持たせた。いや持たせなかったと言うべきか。「やっぱり最後のパットもね」と少し笑みをこぼしながら、「優勝が決まる決まらないではなく、ベストのプレーをしてほしかったからです。もちろんあれを外しても優勝ですけど、わかっていたら隙が生まれる。最後まで脇を締めた状態で戦ってもらいたいから、『終わってから見ましょう』と言いました」と明かす。
対相手ではなく自分自身と向き合って最後までコースと対峙した青木。スコアボードを見ない作戦はその1つのテクニックといえるだろう。それは初めて実行したわけではなく「日頃からマインドセットして戦うことが大事と青木プロとは話していて、その練習が生きたと思います」と大西氏はいう。つまり、相手ではなく自分自身と戦う無意識な思考パターンを日常的に訓練していたのだ。
その成果として、最終日は究極の集中状態である“ゾーン”に入り、8バーディ・ボギーなしでトーナメントレコードタイとなる「64」を叩き出した(※同じ日に山下美夢有が「63」を出して記録を1打更新)。「ゾーンというのは対相手では入れない。本当に自分と向き合えたときにゾーンが切り開けると思う。青木プロなりに良い意味で周りが見えないでゴルフに集中できる形、ゾーンの入り口を見つけたのだと思います」(大西氏)。
青木の強さが際だった今大会。2月に30歳の誕生日を迎え、次々と若手が台頭する女子ツアーではもうベテランの域に入ったが、いまが青木のピークにあると感じさせる内容だった。まだ成し遂げていない『年間複数回優勝』と『メルセデス・ランキングトップ10』に向け、2人はまだまだ勝利を積み重ねていきそうだ。(文・下村耕平)
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