<LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ 最終日◇26日◇宮崎カントリークラブ(6,448ヤード・パー72)>
「嬉しさももちろんありますが、ようやく終わって解放される。やっとゆっくり休めそうです」。新賞金女王の口から最初に飛び出した言葉は喜びではなく安堵だった。
喜びの笑顔が炸裂!鈴木愛の活躍を特選フォトでプレーバック
「LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」最終日、賞金ランク1位の鈴木愛は3バーディ・ノーボギーの“69”でラウンド。トータル5アンダーの7位タイに入り、逆転の可能性があったキム・ハヌル、イ・ミニョン(共に韓国)が最低条件の優勝を達成できなかったため、2013年以来となる日本勢の賞金女王に輝いた。
昨日までの苦しんでいた鈴木はもういなかった。「(パットが入らなかった)2日目、3日目よりも入らないことはないだろうと思って、とにかく“このグリーンを好きにならないと”と思って頑張りました」。ハヌルと共にアウトからスタートすると、2番で4mのパーパットを残したがしっかりと決めてパーセーブ。5番、6番の連続バーディへとつなげる。
その後もきわどいパットを難なく決めていく鈴木。そこには技術的な裏付けも。「これまでは芽を気にしすぎていたり傾斜を意識しすぎていたりしていました。私は見た感じと構えた感じでラインを読むタイプ。そのスタイルに戻してやりました」。その集大成が18番の5mのパーパットだった。
この場面で小畑貴宏キャディは冷静に2位でプレーするミニョンとの差を考えて「ボギーでも女王になれる」と計算していた。だが、鈴木は違った。「とにかくカップに届かせたかった。オーバーしないと、と。やっぱり最後は良い締めくくりとしてパーで上がりたかった」
打った瞬間「これはオーバーしてグリーン出ちゃう(小畑キャディ)」というくらい強い球が出たがカップに一直線。奥の壁に当たるガコンという大きな音と共に中へと吸い込まれた。それは鈴木らしい強気のパッティングの総決算でもあった。その時は知る由もないが、実はこのホールがボギーであればメルセデス最優秀選手賞(MVP)はハヌルのものだった。
最後の最後で取り戻した自分らしさ。それはお姉さんの志歩さんからのアドバイスでもある。いつもは連絡してこない姉から一昨日、昨日と届いたメールには“自分のプレーをしなよ”、“いやでも残り2日しかないけん。集中して頑張りな”の文字。それらの1つ1つが鈴木を楽にさせた。「姉の言葉はとても大きい」。家族のナイスアシストも女王となるには欠かせないエッセンスだった。
そしてもう1つ。自分の帰るべき場所を作り出した練習量も忘れてはならない。それは優勝したテレサ・ルー(台湾)、去年の女王イ・ボミ(韓国)が“鈴木の強さ”として挙げたもの。「賞金女王になれた要因はやっぱり練習量だと思います。今年は怪我もあってセーブしていましたがミヤギテレビ杯あたりから練習しなきゃ自分の実力を引き出せないと思って量を戻した。そうしたら自分らしさも戻ってきた。練習量だけは海外選手に負けないようにやってきた」。絶対的な努力は“自分らしいパッティング”とともに自信も作り上げた。
そうして手にした女王の座。振り返るうちに安堵以上に芽生えてきたのが自覚である。「ここまで早くなれると思ってなかった。来年はまたプレッシャーがあると思う。それを意識したうえで活躍できればさらに強くなると思う」。その先には世界を見据える。「TOTOジャパンクラシックで海外の選手と回って世界との差を感じました。2位になれましたが、今行っても戦えるかというとまだ自信がない。もう少し日本で頑張って自信を持てるようになったら挑戦したい」と力を蓄えて臨む構えだ。
と、真面目な話はここまで。「とりあえず今はゲームしたいです(笑)」。帰り際は、さっきまでの死闘が嘘のように普通の23歳になっていた。
「嬉しさももちろんありますが、ようやく終わって解放される。やっとゆっくり休めそうです」。新賞金女王の口から最初に飛び出した言葉は喜びではなく安堵だった。
喜びの笑顔が炸裂!鈴木愛の活躍を特選フォトでプレーバック
「LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」最終日、賞金ランク1位の鈴木愛は3バーディ・ノーボギーの“69”でラウンド。トータル5アンダーの7位タイに入り、逆転の可能性があったキム・ハヌル、イ・ミニョン(共に韓国)が最低条件の優勝を達成できなかったため、2013年以来となる日本勢の賞金女王に輝いた。
昨日までの苦しんでいた鈴木はもういなかった。「(パットが入らなかった)2日目、3日目よりも入らないことはないだろうと思って、とにかく“このグリーンを好きにならないと”と思って頑張りました」。ハヌルと共にアウトからスタートすると、2番で4mのパーパットを残したがしっかりと決めてパーセーブ。5番、6番の連続バーディへとつなげる。
その後もきわどいパットを難なく決めていく鈴木。そこには技術的な裏付けも。「これまでは芽を気にしすぎていたり傾斜を意識しすぎていたりしていました。私は見た感じと構えた感じでラインを読むタイプ。そのスタイルに戻してやりました」。その集大成が18番の5mのパーパットだった。
この場面で小畑貴宏キャディは冷静に2位でプレーするミニョンとの差を考えて「ボギーでも女王になれる」と計算していた。だが、鈴木は違った。「とにかくカップに届かせたかった。オーバーしないと、と。やっぱり最後は良い締めくくりとしてパーで上がりたかった」
打った瞬間「これはオーバーしてグリーン出ちゃう(小畑キャディ)」というくらい強い球が出たがカップに一直線。奥の壁に当たるガコンという大きな音と共に中へと吸い込まれた。それは鈴木らしい強気のパッティングの総決算でもあった。その時は知る由もないが、実はこのホールがボギーであればメルセデス最優秀選手賞(MVP)はハヌルのものだった。
最後の最後で取り戻した自分らしさ。それはお姉さんの志歩さんからのアドバイスでもある。いつもは連絡してこない姉から一昨日、昨日と届いたメールには“自分のプレーをしなよ”、“いやでも残り2日しかないけん。集中して頑張りな”の文字。それらの1つ1つが鈴木を楽にさせた。「姉の言葉はとても大きい」。家族のナイスアシストも女王となるには欠かせないエッセンスだった。
そしてもう1つ。自分の帰るべき場所を作り出した練習量も忘れてはならない。それは優勝したテレサ・ルー(台湾)、去年の女王イ・ボミ(韓国)が“鈴木の強さ”として挙げたもの。「賞金女王になれた要因はやっぱり練習量だと思います。今年は怪我もあってセーブしていましたがミヤギテレビ杯あたりから練習しなきゃ自分の実力を引き出せないと思って量を戻した。そうしたら自分らしさも戻ってきた。練習量だけは海外選手に負けないようにやってきた」。絶対的な努力は“自分らしいパッティング”とともに自信も作り上げた。
そうして手にした女王の座。振り返るうちに安堵以上に芽生えてきたのが自覚である。「ここまで早くなれると思ってなかった。来年はまたプレッシャーがあると思う。それを意識したうえで活躍できればさらに強くなると思う」。その先には世界を見据える。「TOTOジャパンクラシックで海外の選手と回って世界との差を感じました。2位になれましたが、今行っても戦えるかというとまだ自信がない。もう少し日本で頑張って自信を持てるようになったら挑戦したい」と力を蓄えて臨む構えだ。
と、真面目な話はここまで。「とりあえず今はゲームしたいです(笑)」。帰り際は、さっきまでの死闘が嘘のように普通の23歳になっていた。