<宮里藍 サントリーレディスオープンゴルフトーナメント 最終日◇10日◇六甲国際ゴルフ倶楽部(6,525ヤード・パー72)>
「(宮里)藍さんの冠がついた最初の大会。それに対する思いは常にあった」。プレーオフ4ホールに及ぶ死闘となった「宮里藍 サントリーレディス」を制したのは、昨年、宮里藍が日本ラストゲームに選んだこの大会で、最終日に宮里と同組で回った成田美寿々だった。
【写真】親友・青木瀬令奈とハグで喜びを分かち合う
持ち前のショットを武器に「66」をたたき出し、トータル16アンダー・首位でホールアウト。もう1人、同スコアで上がったのは有村智恵だった。実はこの2人、先週の木曜日に宮里藍と食事をし、「冠がついた大会だし、一緒に頑張ろうね」と交わした間柄だった。
食事会のきっかけは5月上旬の「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」で成田から「ご飯に行っていただけませんか」とお願いしたことからだった。二つ返事で了承してくれた憧れの人は、先週スケジュールが会うことが分かると「予約しておくね」とまで言ってくれた。ただ、さすがに2人で会うと緊張して話せないと思い、有村ともう1人を誘うことに。そして今大会での健闘を誓い合った。まさかそんな人と優勝をかけて争うことになるとは、夢にも思わなかった。
成田自身が「運命的」と評したプレーオフ。ともに1ホール目をパーとして迎えた2ホール目。有村が1.5mのチャンスにつける。成田はバーディパットを決められずパー。絶体絶命のピンチだったが、有村はこのバーディパットをものにできず。そして4ホール目。2mのバーディチャンスにつけると、先にパーとした有村のプレーを見届けてねじ込み優勝。見事、宮里の名がついた最初の年に優勝者として名を刻んだ。
食事に付き合ってくれた宮里は、今日もパワーをくれた。13番で見かけたときに挨拶すると、「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。この言葉で気合を入れなおし、このホールで2打目を1.5mにつけてバーディ。さらに15番から3連続バーディを奪うなど、大きなターニングポイントとなった。プレーオフの前にも「よく頑張ったね。プレーオフ行っておいで」と言われて、アドレナリンは全開。そして優勝を決めると、「言って欲しかった」という念願の言葉、「おめでとう」とともにハグ。常にこの日の成田のそばには、宮里の存在があった。
そしてもう1つ。「ずっと集中を保てた」と合計76ホールの長丁場を戦い抜けたことは、トレーニングの成果にほかならない。今シーズンは週に1回、できる限りトレーニングを行った。きっかけは2月に出場した米ツアー「ホンダLPGAタイランド」。試合中でもトレーニングに励んでいる選手が多数いることが分かり、「トレーニングをしているからこそ、球の高さや飛距離、止める技術がある。体格で負けている日本人がやらなくてどうするんだ」と一念発起した。
万人がもろ手を上げてトレーニングを支持してくれたわけではなかった。父から「もう少し休んだり、(ゴルフの)練習をしたほうがいいんじゃないか」と言われることもあったが、それでもやめることは無かった。そして今大会。その意志が正しかったことを結果で証明してみせると、「1勝挙げることができて安心しています」とニヤリと笑った。
最近ジュニアゴルファーから「憧れの人」として名前を挙げられることも増えた成田。それは自分でも感じており、「嬉しいですね」という思いとともに「下手なことはできないです。ゴルフだけが上手い選手になりたくないので、所作は特に気をつけています」と自覚も出てきた。“憧れる”存在から“憧れられる”存在へ。25歳の鍛え上げられた背中は、一段とたくましく見えたに違いない。(文・秋田義和)
「(宮里)藍さんの冠がついた最初の大会。それに対する思いは常にあった」。プレーオフ4ホールに及ぶ死闘となった「宮里藍 サントリーレディス」を制したのは、昨年、宮里藍が日本ラストゲームに選んだこの大会で、最終日に宮里と同組で回った成田美寿々だった。
【写真】親友・青木瀬令奈とハグで喜びを分かち合う
持ち前のショットを武器に「66」をたたき出し、トータル16アンダー・首位でホールアウト。もう1人、同スコアで上がったのは有村智恵だった。実はこの2人、先週の木曜日に宮里藍と食事をし、「冠がついた大会だし、一緒に頑張ろうね」と交わした間柄だった。
食事会のきっかけは5月上旬の「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」で成田から「ご飯に行っていただけませんか」とお願いしたことからだった。二つ返事で了承してくれた憧れの人は、先週スケジュールが会うことが分かると「予約しておくね」とまで言ってくれた。ただ、さすがに2人で会うと緊張して話せないと思い、有村ともう1人を誘うことに。そして今大会での健闘を誓い合った。まさかそんな人と優勝をかけて争うことになるとは、夢にも思わなかった。
成田自身が「運命的」と評したプレーオフ。ともに1ホール目をパーとして迎えた2ホール目。有村が1.5mのチャンスにつける。成田はバーディパットを決められずパー。絶体絶命のピンチだったが、有村はこのバーディパットをものにできず。そして4ホール目。2mのバーディチャンスにつけると、先にパーとした有村のプレーを見届けてねじ込み優勝。見事、宮里の名がついた最初の年に優勝者として名を刻んだ。
食事に付き合ってくれた宮里は、今日もパワーをくれた。13番で見かけたときに挨拶すると、「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。この言葉で気合を入れなおし、このホールで2打目を1.5mにつけてバーディ。さらに15番から3連続バーディを奪うなど、大きなターニングポイントとなった。プレーオフの前にも「よく頑張ったね。プレーオフ行っておいで」と言われて、アドレナリンは全開。そして優勝を決めると、「言って欲しかった」という念願の言葉、「おめでとう」とともにハグ。常にこの日の成田のそばには、宮里の存在があった。
そしてもう1つ。「ずっと集中を保てた」と合計76ホールの長丁場を戦い抜けたことは、トレーニングの成果にほかならない。今シーズンは週に1回、できる限りトレーニングを行った。きっかけは2月に出場した米ツアー「ホンダLPGAタイランド」。試合中でもトレーニングに励んでいる選手が多数いることが分かり、「トレーニングをしているからこそ、球の高さや飛距離、止める技術がある。体格で負けている日本人がやらなくてどうするんだ」と一念発起した。
万人がもろ手を上げてトレーニングを支持してくれたわけではなかった。父から「もう少し休んだり、(ゴルフの)練習をしたほうがいいんじゃないか」と言われることもあったが、それでもやめることは無かった。そして今大会。その意志が正しかったことを結果で証明してみせると、「1勝挙げることができて安心しています」とニヤリと笑った。
最近ジュニアゴルファーから「憧れの人」として名前を挙げられることも増えた成田。それは自分でも感じており、「嬉しいですね」という思いとともに「下手なことはできないです。ゴルフだけが上手い選手になりたくないので、所作は特に気をつけています」と自覚も出てきた。“憧れる”存在から“憧れられる”存在へ。25歳の鍛え上げられた背中は、一段とたくましく見えたに違いない。(文・秋田義和)