前回、宮里藍さんが結婚を報告されたタイミングで私の結婚観についてお話しさせていただきました。そこで私は女子プロもタイミングよく結婚していけばいいのに、と話させていただいたのですが、1つ心配が…
【写真】藤田光里の特選フォトギャラリー
私は20代で結婚したいと思っているんです。でも、できないかもしれない。なぜかというと私、決断力がないんです。もし、いい人がいて「結婚したい」と言ってくれても、「う〜ん」って悩んじゃうと思う。本当に何事も決められない。
ゴルフはずっとやってきたので「この番手を持つ持たない」くらいは悩まずできるのですが、人生には分岐点があるじゃないですが。一生が変わるような大きな決断をするのがすごく苦手です。
これまでで唯一「大きいな」といえる決断したのは、高校を辞めたときですね。このときはかなり迷いました。決め手となったのは、ゴルフやっていて勉強をおろそかになりがちだったこともありますが、一番は環境を変えたかったからです。
高校に行ったときに部活というかたちで、大人数でゴルフをやるのは初めてのことでした。それが私に合わなかったわけではないのですが、これまで家族でゴルフに取り組んでいたこともあって、今後を考えると団体でやるよりも個人でやる方がいいかなと思いました。私も父もゴルフ部というかたちにはなじめなかったですね。結局、高校を辞めて、今までのやり方でプロテストを目指すことにしました。
本当のことを言うと、そのときも実はずるずるいこうかとも思っていました。ですが、ちょっとカチンとくる一言を言われてしまって。言葉自体は明かせないですが、内容としてはプロの試合と高校の試合とナショナルチームが重なってしまったときに、私はプロの試合を選んだのですが、そのことについて高校とJGAと色々話し合った結果、高校の試合に出られなくなってしまった。それならゴルフ部にいる意味が無くなって、それに進学校だったのでついていけなかったということもありました。そのときに言われた一言がとても腹立たしかったんです。
そういった人ばかりで辞めざるを得なくなったわけではなく、止めてくれた先生もいました。ただ、「ここは嫌だな」と思う中でやるのは私にはできなかった。プロテストの前の大事な時期だったこともあって、飛鳥未来高校に行くことにしました。
もう1つ、これは私の決断じゃないですが、小学校6年生の時に私のゴルフのために父が家を売って、転校することになったことも決断と言えば決断です。あのとき、私が嫌と言えばなくなっていたかもしれませんから。でも、やってみないと分からないなと思って
ウェア契約とかクラブ契約は大きな決断じゃ…と思われる方がいるかもしれませんが、私の場合、ジュニアのころからモニターでやっていたメーカーさんと契約させていただいたので、大きな決断という感じじゃないです。プロになって、改めてよろしくお願いしますという感じで。
というわけで、決断力がない私はいつ結婚できるのでしょうか…(笑)。
【関連】藤田光里のMindTravel バックナンバーはこちら
■プロフィール
藤田光里(ふじた・ひかり)/1994年9月26日生まれ、北海道札幌市出身
父の勧めで3歳からゴルフを始め、13年のプロテストで合格。さらに同年のファイナルQT1位、新人戦でも優勝を飾るなど鳴り物入りでツアーに参戦した。初年度は優勝こそできなかったもののシードを獲得、15年の『フジサンケイレディス』で初優勝を挙げた。ゴルフの実力だけでなく、端正なルックスも相まって人気も高い。
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私は20代で結婚したいと思っているんです。でも、できないかもしれない。なぜかというと私、決断力がないんです。もし、いい人がいて「結婚したい」と言ってくれても、「う〜ん」って悩んじゃうと思う。本当に何事も決められない。
ゴルフはずっとやってきたので「この番手を持つ持たない」くらいは悩まずできるのですが、人生には分岐点があるじゃないですが。一生が変わるような大きな決断をするのがすごく苦手です。
これまでで唯一「大きいな」といえる決断したのは、高校を辞めたときですね。このときはかなり迷いました。決め手となったのは、ゴルフやっていて勉強をおろそかになりがちだったこともありますが、一番は環境を変えたかったからです。
高校に行ったときに部活というかたちで、大人数でゴルフをやるのは初めてのことでした。それが私に合わなかったわけではないのですが、これまで家族でゴルフに取り組んでいたこともあって、今後を考えると団体でやるよりも個人でやる方がいいかなと思いました。私も父もゴルフ部というかたちにはなじめなかったですね。結局、高校を辞めて、今までのやり方でプロテストを目指すことにしました。
本当のことを言うと、そのときも実はずるずるいこうかとも思っていました。ですが、ちょっとカチンとくる一言を言われてしまって。言葉自体は明かせないですが、内容としてはプロの試合と高校の試合とナショナルチームが重なってしまったときに、私はプロの試合を選んだのですが、そのことについて高校とJGAと色々話し合った結果、高校の試合に出られなくなってしまった。それならゴルフ部にいる意味が無くなって、それに進学校だったのでついていけなかったということもありました。そのときに言われた一言がとても腹立たしかったんです。
そういった人ばかりで辞めざるを得なくなったわけではなく、止めてくれた先生もいました。ただ、「ここは嫌だな」と思う中でやるのは私にはできなかった。プロテストの前の大事な時期だったこともあって、飛鳥未来高校に行くことにしました。
もう1つ、これは私の決断じゃないですが、小学校6年生の時に私のゴルフのために父が家を売って、転校することになったことも決断と言えば決断です。あのとき、私が嫌と言えばなくなっていたかもしれませんから。でも、やってみないと分からないなと思って
ウェア契約とかクラブ契約は大きな決断じゃ…と思われる方がいるかもしれませんが、私の場合、ジュニアのころからモニターでやっていたメーカーさんと契約させていただいたので、大きな決断という感じじゃないです。プロになって、改めてよろしくお願いしますという感じで。
というわけで、決断力がない私はいつ結婚できるのでしょうか…(笑)。
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■プロフィール
藤田光里(ふじた・ひかり)/1994年9月26日生まれ、北海道札幌市出身
父の勧めで3歳からゴルフを始め、13年のプロテストで合格。さらに同年のファイナルQT1位、新人戦でも優勝を飾るなど鳴り物入りでツアーに参戦した。初年度は優勝こそできなかったもののシードを獲得、15年の『フジサンケイレディス』で初優勝を挙げた。ゴルフの実力だけでなく、端正なルックスも相まって人気も高い。