<サマンサタバサ ガールズコレクション・レディース 最終日◇15日◇イーグルポイントゴルフクラブ(6,588ヤード・パー72)>
有村智恵を近くで支えた人々も、今回の復活優勝を喜んだ。ツアーに帯同し、有村の身の回りを支える姉の美佳さんもその一人だ。
【写真】原江里菜からの祝福電話を受ける有村智恵
有村が米国ツアーに参戦時にはオフや試合の前後にサポートを行い、2016年の日本復帰後は妹とともに試合を転戦し、運転や食事の準備などを行う美佳さんは、「こんなに頑張っているのに、どうして勝てないのかなとずっと思っていて…。今シーズンもどうなるのかと思っていたけど、早く結果が出てよかった」と涙を流した。
一番身近でその苦しみを見てきた人物。「家族が見ているときもストイック。どうやったら休んでくれるのか。もうちょっと楽にしてもいいのにと周囲が心配するほど」と有村のゴルフに対する姿勢も話した。
16年には2人が生まれ育った熊本を震災が襲った。有村が日本復帰を決意するきっかけになった出来事だが、「熊本の人に恩返しするためにも、結果を出したかったと思う。やっと優勝を届けられました」。さらに「震災のときに(有村がツアー優勝した)13勝分のトロフィーが、ほとんど割れてしまって。やっと新しく飾ることができました」といい、ひときわ感極まった。
また有村のラウンドを支える小田亨キャディも、ラウンド後「ようやく(優勝)です」と興奮した様子。低迷から復活した理由については「体とクラブがマッチングしてきた。ショットの飛距離が伸びた」と分析。その理由として「オフのトレーニングで、徹底的に体を追い込む期間と、緩める期間を設けました。そうすることで強くて、しなやかな筋肉を作ることができました」と明かした。
優勝が決まった瞬間には、東北高校時代に苦楽を共にした原江里菜からの電話を受けた有村。その後の優勝インタビューでは内容について聞かれ、「アメリカで苦しんでいる姿も見てきてくれた。『優勝する姿を見せてくれてありがとう』と喜んでくれました」といって笑顔を浮かべる一幕も。さらに優勝後の会見などもあり、ホールアウトから1時間以上が過ぎてようやくコースに戻った有村を多くのファンが待ち受けた。いたるところから「優勝おめでとう」の声が飛び、会場全体が祝福ムードに包まれた。(文・間宮輝憲)
有村智恵を近くで支えた人々も、今回の復活優勝を喜んだ。ツアーに帯同し、有村の身の回りを支える姉の美佳さんもその一人だ。
【写真】原江里菜からの祝福電話を受ける有村智恵
有村が米国ツアーに参戦時にはオフや試合の前後にサポートを行い、2016年の日本復帰後は妹とともに試合を転戦し、運転や食事の準備などを行う美佳さんは、「こんなに頑張っているのに、どうして勝てないのかなとずっと思っていて…。今シーズンもどうなるのかと思っていたけど、早く結果が出てよかった」と涙を流した。
一番身近でその苦しみを見てきた人物。「家族が見ているときもストイック。どうやったら休んでくれるのか。もうちょっと楽にしてもいいのにと周囲が心配するほど」と有村のゴルフに対する姿勢も話した。
16年には2人が生まれ育った熊本を震災が襲った。有村が日本復帰を決意するきっかけになった出来事だが、「熊本の人に恩返しするためにも、結果を出したかったと思う。やっと優勝を届けられました」。さらに「震災のときに(有村がツアー優勝した)13勝分のトロフィーが、ほとんど割れてしまって。やっと新しく飾ることができました」といい、ひときわ感極まった。
また有村のラウンドを支える小田亨キャディも、ラウンド後「ようやく(優勝)です」と興奮した様子。低迷から復活した理由については「体とクラブがマッチングしてきた。ショットの飛距離が伸びた」と分析。その理由として「オフのトレーニングで、徹底的に体を追い込む期間と、緩める期間を設けました。そうすることで強くて、しなやかな筋肉を作ることができました」と明かした。
優勝が決まった瞬間には、東北高校時代に苦楽を共にした原江里菜からの電話を受けた有村。その後の優勝インタビューでは内容について聞かれ、「アメリカで苦しんでいる姿も見てきてくれた。『優勝する姿を見せてくれてありがとう』と喜んでくれました」といって笑顔を浮かべる一幕も。さらに優勝後の会見などもあり、ホールアウトから1時間以上が過ぎてようやくコースに戻った有村を多くのファンが待ち受けた。いたるところから「優勝おめでとう」の声が飛び、会場全体が祝福ムードに包まれた。(文・間宮輝憲)