50歳と312日で、女子プロゴルフ史上最年長優勝を飾った岡田美智子。1995年の大詰め、大王製紙エリエール女子オープンで優勝した鮮やかな記憶をたどる。
「とてもよく覚えています。(大会前日の)プロアマに出られなくて練習場でボールを打っていたら『岡田さん、アイアン、ダフってますよ』って、沢田(さと子)さんに言われたの。横にいた永田(富佐子)さんなんて『そんな音聞くのイヤだからこっちで打って』って言ったくらい。2人とも『いつもはパンチショットなのに、いつもと違う』って」。言われて、自分が振りすぎていたことに気が付いた。
この年1月に50歳になった女子プロ1期生。前年、賞金ランキング54位になり、わずかな差で、人生初のシード落ちを喫していた。それでも、毎朝のジョギングを欠かさず、健康に悪いことはしない生活を続け、体力、気力はまったく衰えていない。シード権復活を目指し、充実したオフシーズンを過ごしていた。
アジアサーキット(現アジアツアー)に出場することを決め、申し込みをしたときには、担当者が間違いじゃないか、と確認をしたほどだった。そこで新たなエネルギーを得て、予選会(現在のQT)では初日「78」を叩きながら、その後で巻き返して出場権を獲得した。
こうして臨んだ1995年は順調にプレーして、すでにシード復活も確定させて迎えた大会だった。開催コースのエリエールGC(香川県)は高麗グリーン。「昔の人間だから高麗はうまく打てるのよ」と、気分よくプレーした。
初日はイーブンパー。首位の高又順に6打差21位タイと静かなスタートを切った。2日目は5アンダー。1つスコアを落とした高を含めて6人が首位に並ぶ大混戦となった。
電話でおしどり夫婦として知られる夫、佐藤暁氏から「ミッチー、いつもの感じでやればいいんじゃない」と声をかけられて挑んだ最終日。早朝4キロのジョギングも、いつもと変わらない。
地元・伊勢原の後輩、松澤知加子、野呂奈津子との組み合わせの最終組。松澤と同じ6アンダーで迎えた15番、松澤が先に5メートルのバーディパットを沈めると、岡田も4メートルを入れ返す。
ゲームが動いたのは16番だった。「上りのホール。左はOBだけど、まっすぐ行けばいい。練習ラウンドで永田さんと『優勝争いになるとこの辺にピンを切るよね』と話していたそこにピンがあって、私は残り120ヤードを1.5メートルにピタリとつけました。チコちゃん(松澤)は飛ぶから、たぶん70〜80ヤードくらいだったけど乗るだけだった。私はバーディ。チコちゃんは3パットでボギーを叩いて2ストローク差になったんです」
17番パー3はボギーを叩いたが、それでもトータル7アンダー。6アンダーで高、小林浩美、金萬寿が先に上がる中、最終18番パー5に臨んだ。
残り55ヤードの3打目によぎったのは、師匠、中村寅吉の教えだ。「ショートアイアンはとにかくしっかり打て」。これを守って左奥7メートルのエッジに運んだ。松澤は3打目を1メートルのバーディチャンスにつけている。
「順目だよね?」とキャディに確認し、パターで素振りを2回して打ったパットは、刺したままのピンに当たってド真ん中からカップインするバーディだ。トータル8アンダーで優勝が決まった。
これを見た松澤は1メートルのパットを外して単独2位を逃してしまう。「『岡田さんがあんなスゴイの入れたから震えちゃって』って言ってました」と笑ったが、相手を黙らせるには十分な1打だった。
ツアー通算10勝目。師匠からは「ツアー10勝して1人前だ」と言われていた。その約束をようやく果たせた優勝だった。「36歳で結婚した主人には『10勝したら子供を産むね』と言っていたんですけど、50歳11か月になってしまっていて」という勝利でもあった。
50歳312日での史上最年長優勝記録。自らが持つ47歳253日を塗り替える世界記録。「雨の日以外は朝のジョギングをしたりスクワットをしていました。健康に悪いことは何もしなかったし」という意識の賜物。いまだに破られていない記録を残した名勝負となった。(文・小川淳子)
「とてもよく覚えています。(大会前日の)プロアマに出られなくて練習場でボールを打っていたら『岡田さん、アイアン、ダフってますよ』って、沢田(さと子)さんに言われたの。横にいた永田(富佐子)さんなんて『そんな音聞くのイヤだからこっちで打って』って言ったくらい。2人とも『いつもはパンチショットなのに、いつもと違う』って」。言われて、自分が振りすぎていたことに気が付いた。
この年1月に50歳になった女子プロ1期生。前年、賞金ランキング54位になり、わずかな差で、人生初のシード落ちを喫していた。それでも、毎朝のジョギングを欠かさず、健康に悪いことはしない生活を続け、体力、気力はまったく衰えていない。シード権復活を目指し、充実したオフシーズンを過ごしていた。
アジアサーキット(現アジアツアー)に出場することを決め、申し込みをしたときには、担当者が間違いじゃないか、と確認をしたほどだった。そこで新たなエネルギーを得て、予選会(現在のQT)では初日「78」を叩きながら、その後で巻き返して出場権を獲得した。
こうして臨んだ1995年は順調にプレーして、すでにシード復活も確定させて迎えた大会だった。開催コースのエリエールGC(香川県)は高麗グリーン。「昔の人間だから高麗はうまく打てるのよ」と、気分よくプレーした。
初日はイーブンパー。首位の高又順に6打差21位タイと静かなスタートを切った。2日目は5アンダー。1つスコアを落とした高を含めて6人が首位に並ぶ大混戦となった。
電話でおしどり夫婦として知られる夫、佐藤暁氏から「ミッチー、いつもの感じでやればいいんじゃない」と声をかけられて挑んだ最終日。早朝4キロのジョギングも、いつもと変わらない。
地元・伊勢原の後輩、松澤知加子、野呂奈津子との組み合わせの最終組。松澤と同じ6アンダーで迎えた15番、松澤が先に5メートルのバーディパットを沈めると、岡田も4メートルを入れ返す。
ゲームが動いたのは16番だった。「上りのホール。左はOBだけど、まっすぐ行けばいい。練習ラウンドで永田さんと『優勝争いになるとこの辺にピンを切るよね』と話していたそこにピンがあって、私は残り120ヤードを1.5メートルにピタリとつけました。チコちゃん(松澤)は飛ぶから、たぶん70〜80ヤードくらいだったけど乗るだけだった。私はバーディ。チコちゃんは3パットでボギーを叩いて2ストローク差になったんです」
17番パー3はボギーを叩いたが、それでもトータル7アンダー。6アンダーで高、小林浩美、金萬寿が先に上がる中、最終18番パー5に臨んだ。
残り55ヤードの3打目によぎったのは、師匠、中村寅吉の教えだ。「ショートアイアンはとにかくしっかり打て」。これを守って左奥7メートルのエッジに運んだ。松澤は3打目を1メートルのバーディチャンスにつけている。
「順目だよね?」とキャディに確認し、パターで素振りを2回して打ったパットは、刺したままのピンに当たってド真ん中からカップインするバーディだ。トータル8アンダーで優勝が決まった。
これを見た松澤は1メートルのパットを外して単独2位を逃してしまう。「『岡田さんがあんなスゴイの入れたから震えちゃって』って言ってました」と笑ったが、相手を黙らせるには十分な1打だった。
ツアー通算10勝目。師匠からは「ツアー10勝して1人前だ」と言われていた。その約束をようやく果たせた優勝だった。「36歳で結婚した主人には『10勝したら子供を産むね』と言っていたんですけど、50歳11か月になってしまっていて」という勝利でもあった。
50歳312日での史上最年長優勝記録。自らが持つ47歳253日を塗り替える世界記録。「雨の日以外は朝のジョギングをしたりスクワットをしていました。健康に悪いことは何もしなかったし」という意識の賜物。いまだに破られていない記録を残した名勝負となった。(文・小川淳子)