「勢いだけでシード入りもしたけど、技術はなかった」
2021年「ニッポンハムレディスクラシック」で悲願の初優勝を挙げて。
13年の日本ジュニア優勝やナショナルチームメンバーとしてアマチュア時代から活躍していた堀は14年にプロテストに合格。翌15年にツアー本格参戦を果たし、するとそのまま賞金ランク33位となり、いきなりのシード入りを果たした。
早速16年の「日本女子オープン」では優勝争いを演じるも最終日、当時アマチュアの畑岡奈紗に1打及ばす惜敗し2位。それでも賞金ランク11位とキャリアハイの1年に。17年もトップ10入り9度など、ランク21位で楽々シードを守った。だが実はこの年の終盤には、異変を感じ始めていた。生命線であるショットの狂いが歯止めがきかないものになってしまったのだ。
「ツアーに出はじめた時は勢いだけでした。シード入りもしたけど、技術はなかった」と当時をこう振り返る。
18年には原江里菜の紹介で、現在も指導を受ける森守洋コーチの門を叩き、「いっぱいありすぎてここじゃ言えないです(笑)」というほど、再生に向けて二人三脚で練習を積み重ねた。ここでもう一度基礎から技術を身に付けた。
「何百回も何千回も“あの時の2位”と言われてきた」と苦しんできた数年間の記憶が一気に込み上げる。そんな一生忘れることができない、プロ8年目の初優勝となった。
2021年「ニッポンハムレディスクラシック」で悲願の初優勝を挙げて。
13年の日本ジュニア優勝やナショナルチームメンバーとしてアマチュア時代から活躍していた堀は14年にプロテストに合格。翌15年にツアー本格参戦を果たし、するとそのまま賞金ランク33位となり、いきなりのシード入りを果たした。
早速16年の「日本女子オープン」では優勝争いを演じるも最終日、当時アマチュアの畑岡奈紗に1打及ばす惜敗し2位。それでも賞金ランク11位とキャリアハイの1年に。17年もトップ10入り9度など、ランク21位で楽々シードを守った。だが実はこの年の終盤には、異変を感じ始めていた。生命線であるショットの狂いが歯止めがきかないものになってしまったのだ。
「ツアーに出はじめた時は勢いだけでした。シード入りもしたけど、技術はなかった」と当時をこう振り返る。
18年には原江里菜の紹介で、現在も指導を受ける森守洋コーチの門を叩き、「いっぱいありすぎてここじゃ言えないです(笑)」というほど、再生に向けて二人三脚で練習を積み重ねた。ここでもう一度基礎から技術を身に付けた。
「何百回も何千回も“あの時の2位”と言われてきた」と苦しんできた数年間の記憶が一気に込み上げる。そんな一生忘れることができない、プロ8年目の初優勝となった。