日本女子オープンゴルフ選手権が明日29日、紫CCすみれC(千葉県)で幕を開ける。11年前の2011年、そのナショナルオープンを制したのは馬場ゆかりだった。舞台は名古屋GC和合コース。毎年、春には男子の老舗トーメント、中日クラウンズが行われるコースでもある。
ナショナルオープン優勝という輝かしい記憶を掘り起こすというのに、馬場は最初に苦笑しながら言った。「和合であのセッティングですからね。砲台のグリーンはメチャクチャ硬いし、ラフはずいぶん深い。中日クラウンズと同じようなセッティング。パー5で(バーディーを)獲りたいのに、パー70でパー5がふたつしかない。グリーン手前のバンカーもすごく効いていて『今週はバンカーからのパー取り合戦だな』って」。
■どうしても獲りたかったメジャータイトル■
2004年ヨネックスレディスで初優勝を遂げ、08年ライフカードレディスで2勝目。10年は未勝利ではあったが、安定したプレーで自己最高の9036万341円を稼いで、賞金ランキング4位に入った。
日本女子プロゴルフ選手権では、09年、10年と2年連続で最終日最終組で優勝争い。それぞれ3位タイ、5位タイに入っている。日本女子オープンでも09年には10位と公式戦優勝に手が届きかけており、タイトルへの気持ちは強くなっていた。
「メジャー(公式戦)タイトルが欲しいよね、とメンタルコーチとも相談して普段から取り組んできていました」と、馬場。毎週、試合が終わるとデータを見ながらコーチと電話でディスカッションをした。自分のプレーを振り返りながら、不足を補うように練習方法を考えた。そんな日々の中で、11年の日本女子オープンを迎えた。
一方で、現実的な問題もあった。前年の所得に対してかかる税金が気になり始めていたのだ。「夢を壊すような話で申し訳ないんですけど、あの頃は母と何度も電話でやり取りした記憶があります。前の年に稼いだ分、ものすごい額の税金が降りかかってくる感じだったんです」。03年のデビュー以来、ほぼ、きれいな右肩上がりで獲得賞金を増やしてきたが、この年はそううまくは行かずに秋を迎えた。夏場に予選落ちが続いたこともあった。
金銭的な管理を任せいている母からは常にはっぱをかけられる。「『もうあなたの試合を見に行かない。昨年の税金払えないわよ。貯金ないからね』と前の週に両親からメールが届いた」と、優勝後のインタビューで明かしている。
「通帳を見ると、あらら、ということもあって。それは前の年の税金があるからなんですけど、『自分の貯金で払うからいい!』って母に言ったこともあったと思います」というエピソードは、保障のないプロゴルファーの生活を浮き彫りにしている。
試合が始まると、案の定、難しく仕上げられた和合コース相手に、誰もが苦しんだ。初日はイーブンパーで、宮里美香、テレサ・ルーら5人が首位を並走。馬場は3オーバー18位タイとまずまずのスタートを切った。
■誰もがボギーを連発する中、拾っていくゴルフに徹した■
2日目に、4バーディー・3ボギーで回って首位の宮里美香に1打差2位タイに浮上した。大会前に新調したコンタクトレンズの恩恵も感じていた。
「乱視もあって名古屋のメガネ屋さんでいつも調整していたのですが、その週新しいものにしたんです。そうしたら効き目の左目がちゃんと使えてるというか、すごくバランスよく見えて感覚がよかったんです」
ショットもパットも、アドレスでの感覚がグンとよくなり、獲れるところが獲れた結果だった。
3日目のプレーは連覇を狙う宮里美香とのツーサム。「バーディーを取りたいな」と思った1番でしっかりとバーディー発進したものの、風が強くグリーンが硬く締まってきたコースは難易度を増した。「ボギーをなるべく打たないように、邪念や余念をなくして集中する。グリーンを外しても、拾って拾っていくゴルフ。相手を見る余裕がないくらいに自分のゴルフに没頭していました」と、馬場は明かす。そんなプレーで、何とかボギーを5つに収めた。通算6オーバーだった。それでも笠りつ子と李知姫に、2打差の単独首位に立っていた。
最終日は、さらに苦しい戦いが待っていた。2番のボギーで、そのホールバーディ―の笠に並ばれた。3番でも「得意な8番アイアンでフェアウェイから普通にボギー。完全に自分のミス。緊張もあって、体が思うように動いてなかったんだと思いますけど、自分が情けなくなりました。『うわっ。何やってんだろ。ダサい』って」という序盤だったという。
5番、6番でも連続ボギー。さらに8番パー3では、ティーショットが突っ込みすぎてダブルボギーを叩いてしまった。「うわ〜。もう今日はダメだ」と一時は落胆したほどだ。8番を終えたときには、笠に4打差をつけられていた。2組前で回るアン・ソンジュも迫っていた。そうは言っても、誰もがいつボギーを叩くかわからない中でのプレーが続いた。
ターニングポイントは、9番だった。7メートルの長いパットが入って、この日初めてのバーディー。「ここから組み立て直そう」と、気持ちを切り替えることができた。10番ティでふと目に留まった笠の表情が、さらに馬場を冷静にしてくれた。「気持ちを引き締めたのかもしれませんけど、私には一瞬、固まったように見えたんです。『ん?』って」。追う立場になったこともあり「とりあえず自分はこれ以上ズタボロなゴルフをしたくない」と思いました」と、振り返る。
■優勝スコア通算12オーバーという和合の死闘■
12番ボギーで通算12オーバーとしたが、それ以外は厳しいパーパットも入れて粘り強くパーを重ねた。10番、14番、15番とボギーを重ね、通算12オーバーになった笠と並んで18番を迎えた。
先に13オーバーでアン・ソンジュが待つ中、馬場はフェアウェイから3番ユーティリティで、会心の第2打を放った。「キャディとグータッチが出るくらいのショット。あれで70パーセントくらい勝利を確信しましたね」。
笠はラフからレイアップして3オン。長いパーパットが惜しくもはずれ、馬場の優勝が決まった。疲労困ぱいの極みにあったことは、ウイニングパットに向かったときの「やっとこの戦いが終わる。とりあえず早く入れて終わりたい」という心境によく表れている。ヘトヘトに疲れ果ててようやく手にした待望のナショナルオープンタイトルだった。
多くの人の心に残ることになった和合の死闘。優勝から妊娠・出産を挟んで、今年、3年ぶりに大会直前のチャンピオンズディナーに馬場は出席した。歴代優勝者の先輩たちとともに時間を過ごすことで「女子オープンに勝ってよかった。この場に居られてよかったな」としみじみと感じたという。苦しい戦いを経て手に入れた結果は、誇りに満ちている。(文・清流舎 小川淳子)
ナショナルオープン優勝という輝かしい記憶を掘り起こすというのに、馬場は最初に苦笑しながら言った。「和合であのセッティングですからね。砲台のグリーンはメチャクチャ硬いし、ラフはずいぶん深い。中日クラウンズと同じようなセッティング。パー5で(バーディーを)獲りたいのに、パー70でパー5がふたつしかない。グリーン手前のバンカーもすごく効いていて『今週はバンカーからのパー取り合戦だな』って」。
■どうしても獲りたかったメジャータイトル■
2004年ヨネックスレディスで初優勝を遂げ、08年ライフカードレディスで2勝目。10年は未勝利ではあったが、安定したプレーで自己最高の9036万341円を稼いで、賞金ランキング4位に入った。
日本女子プロゴルフ選手権では、09年、10年と2年連続で最終日最終組で優勝争い。それぞれ3位タイ、5位タイに入っている。日本女子オープンでも09年には10位と公式戦優勝に手が届きかけており、タイトルへの気持ちは強くなっていた。
「メジャー(公式戦)タイトルが欲しいよね、とメンタルコーチとも相談して普段から取り組んできていました」と、馬場。毎週、試合が終わるとデータを見ながらコーチと電話でディスカッションをした。自分のプレーを振り返りながら、不足を補うように練習方法を考えた。そんな日々の中で、11年の日本女子オープンを迎えた。
一方で、現実的な問題もあった。前年の所得に対してかかる税金が気になり始めていたのだ。「夢を壊すような話で申し訳ないんですけど、あの頃は母と何度も電話でやり取りした記憶があります。前の年に稼いだ分、ものすごい額の税金が降りかかってくる感じだったんです」。03年のデビュー以来、ほぼ、きれいな右肩上がりで獲得賞金を増やしてきたが、この年はそううまくは行かずに秋を迎えた。夏場に予選落ちが続いたこともあった。
金銭的な管理を任せいている母からは常にはっぱをかけられる。「『もうあなたの試合を見に行かない。昨年の税金払えないわよ。貯金ないからね』と前の週に両親からメールが届いた」と、優勝後のインタビューで明かしている。
「通帳を見ると、あらら、ということもあって。それは前の年の税金があるからなんですけど、『自分の貯金で払うからいい!』って母に言ったこともあったと思います」というエピソードは、保障のないプロゴルファーの生活を浮き彫りにしている。
試合が始まると、案の定、難しく仕上げられた和合コース相手に、誰もが苦しんだ。初日はイーブンパーで、宮里美香、テレサ・ルーら5人が首位を並走。馬場は3オーバー18位タイとまずまずのスタートを切った。
■誰もがボギーを連発する中、拾っていくゴルフに徹した■
2日目に、4バーディー・3ボギーで回って首位の宮里美香に1打差2位タイに浮上した。大会前に新調したコンタクトレンズの恩恵も感じていた。
「乱視もあって名古屋のメガネ屋さんでいつも調整していたのですが、その週新しいものにしたんです。そうしたら効き目の左目がちゃんと使えてるというか、すごくバランスよく見えて感覚がよかったんです」
ショットもパットも、アドレスでの感覚がグンとよくなり、獲れるところが獲れた結果だった。
3日目のプレーは連覇を狙う宮里美香とのツーサム。「バーディーを取りたいな」と思った1番でしっかりとバーディー発進したものの、風が強くグリーンが硬く締まってきたコースは難易度を増した。「ボギーをなるべく打たないように、邪念や余念をなくして集中する。グリーンを外しても、拾って拾っていくゴルフ。相手を見る余裕がないくらいに自分のゴルフに没頭していました」と、馬場は明かす。そんなプレーで、何とかボギーを5つに収めた。通算6オーバーだった。それでも笠りつ子と李知姫に、2打差の単独首位に立っていた。
最終日は、さらに苦しい戦いが待っていた。2番のボギーで、そのホールバーディ―の笠に並ばれた。3番でも「得意な8番アイアンでフェアウェイから普通にボギー。完全に自分のミス。緊張もあって、体が思うように動いてなかったんだと思いますけど、自分が情けなくなりました。『うわっ。何やってんだろ。ダサい』って」という序盤だったという。
5番、6番でも連続ボギー。さらに8番パー3では、ティーショットが突っ込みすぎてダブルボギーを叩いてしまった。「うわ〜。もう今日はダメだ」と一時は落胆したほどだ。8番を終えたときには、笠に4打差をつけられていた。2組前で回るアン・ソンジュも迫っていた。そうは言っても、誰もがいつボギーを叩くかわからない中でのプレーが続いた。
ターニングポイントは、9番だった。7メートルの長いパットが入って、この日初めてのバーディー。「ここから組み立て直そう」と、気持ちを切り替えることができた。10番ティでふと目に留まった笠の表情が、さらに馬場を冷静にしてくれた。「気持ちを引き締めたのかもしれませんけど、私には一瞬、固まったように見えたんです。『ん?』って」。追う立場になったこともあり「とりあえず自分はこれ以上ズタボロなゴルフをしたくない」と思いました」と、振り返る。
■優勝スコア通算12オーバーという和合の死闘■
12番ボギーで通算12オーバーとしたが、それ以外は厳しいパーパットも入れて粘り強くパーを重ねた。10番、14番、15番とボギーを重ね、通算12オーバーになった笠と並んで18番を迎えた。
先に13オーバーでアン・ソンジュが待つ中、馬場はフェアウェイから3番ユーティリティで、会心の第2打を放った。「キャディとグータッチが出るくらいのショット。あれで70パーセントくらい勝利を確信しましたね」。
笠はラフからレイアップして3オン。長いパーパットが惜しくもはずれ、馬場の優勝が決まった。疲労困ぱいの極みにあったことは、ウイニングパットに向かったときの「やっとこの戦いが終わる。とりあえず早く入れて終わりたい」という心境によく表れている。ヘトヘトに疲れ果ててようやく手にした待望のナショナルオープンタイトルだった。
多くの人の心に残ることになった和合の死闘。優勝から妊娠・出産を挟んで、今年、3年ぶりに大会直前のチャンピオンズディナーに馬場は出席した。歴代優勝者の先輩たちとともに時間を過ごすことで「女子オープンに勝ってよかった。この場に居られてよかったな」としみじみと感じたという。苦しい戦いを経て手に入れた結果は、誇りに満ちている。(文・清流舎 小川淳子)