北田瑠衣が「一番印象深い」というのは、2004年の「ニチレイカップワールドレディス」でのツアー初優勝。ツアーフル参戦1年目の22歳で、5年連続賞金女王に向けて突き進んでいた不動裕理を撃破した一戦だ。
風薫る5月。交通の便のいい東京よみうりCC(東京都稲城市)で開催される大会は、毎年、多くのギャラリーが詰めかけた。のちに舞台を茨城GCに移して公式戦になる一戦は、当時はまだツアーでも数少なかった4日間大会。最終日はあいにくの雨模様だったが、それでも5697人の観客が集まった。
トータル17アンダーの単独首位でこの日を迎えた北田を3打差で追うのは、アマチュアだった諸見里しのぶ。さらに1打遅れて、不動がいた。前年まで4年連続賞金女王タイトルを手にし、この年もすでに3戦1勝していた。
「前の日は全然眠れなかった。翌日のラウンドのシミュレーションばっかりしていました。1番、2番、3番…って1打1打頭の中で。もっとツアーに慣れていれば最終日のピンポジ(ション)はあの辺だな、とかわかるんですけど、初めてだからわからなくて。18ホールシミュレーションしていたら寝られなかった」。初めての優勝争いに緊張はピークに達していた。
諸見里、不動と回る最終組。1番ティでは「地に足がついていなかった」というほどの重圧がかかっていた。それでも「朝イチのティーショットが、思い通り打てれば大丈夫」と自分に言い聞かせ、無事、スタートしていった。
02年に20歳でプロ入りした北田は、翌03年にステップ・アップ・ツアーの「徳島・月の宮レディースカップ」で優勝している。この頃からしばらくが「人生の中で一番ゴルフのことを考えている時代でした」と、多くのプロが活用する宅配便でクラブを送ることをまったくしなかった。「(福岡の)家に帰っても帰らなくても、必ずどこかの練習場に行ってクラブを握ってないと不安だったんです。プロになった以上は、試合に出られないとプロじゃない。予選は通らなくちゃ。いいゴルフをしたい、って」と、ゴルフ漬け。その甲斐あっての優勝争いだった。
優勝したステップの大会では、環境が変わる縁もあった。大会後の“アフタープロアマ”で、JLPGA会長だった樋口久子と一緒にプレーした。現在の女子ツアーとは環境が違い、新人が置かれた環境はまだまだ厳しかった頃のこと。ウェア契約もなく、自分で購入しているものを着用して試合に出ていることを話すと、樋口がウェアメーカーを紹介してくれた。おかげで、04年はウェアの提供を受けながら試合に出ることができた。現在、所属するマネジメント会社も「これから必要だから」と紹介してくれた。北田の可能性を見抜いていたのかもしれない。
スタート後、落ち着いた北田は、2番、4番、7番とバーディを重ねていく。不動は2バーディー、2ボギー、諸見里はここまで全ホールパー。2位との差は6打に広がっていた。
ところが、中盤でつまずいた。8番から3連続ボギーでトータル17アンダー。振り出しに戻っただけだったが、ツアーでの優勝経験がないだけに、このままずるずる崩れてもおかしくない状況だ。北田は、ここで発奮した。
「初優勝がかかっているから(このまま崩れたら)『プレッシャーで負けたんだろう』って周りから思われるだろうな、って。そんなストーリーが自分の頭の中で出てきちゃって。だから『これはちょっと負けられないぞ』という気持ちになったんです」と、見事に気持ちを切り替えた。
「前半、バーディを重ねていたので、意外と冷静になった部分もあったかもしれません。無理にバーディを狙うんじゃなくて、待っていればチャンスが来るかなって」と考える余裕もあった。
11番をパーで落ち着くと、14番までパーを重ねる。15番こそボギーを叩いたが、不動も14番バーディを獲っただけで差を詰め切れない。
18番は、難易度の高いパー3として知られる名物ホール。距離もあり、手前から攻めていくのがセオリーだ。「ピンは手前に切ってあって(グリーン)横や上からだと難易度が高い。ハウスキャディさんと『絶対手前から』と話していたのを覚えています。1打差だったらプレーオフで負けてたいかもしれませんけど、不動さんと2打差あったので、ミスさえしなければ大丈夫、と思えました。うまい具合に花道に打つことができて」と、パーで切り抜けた。
圧倒的強さを誇っていた不動相手に、堂々の2打差逃げ切りで手にした初優勝。しかし「できればそっとしておいてほしいタイプ」だった北田は、すぐに優勝スピーチのプレッシャーに襲われた。
この日は母の日。4年前、短大1年だった北田の母、秀子さんは45歳の若さで急死していた。その死が、プロ転向を決意するきっかけになっていた。「メディアのみなさんに母の日がらみで色々と聞かれました。『よく勝てたな』と思った時に『それこそ母が見ていてくれたのかな』と思って」と、しみじみ、それをかみしめた。
「不動さんとプレーするワクワク感や、ギャラリーの方が応援して下さることを肌で感じながら優勝できてよかった。自信になりました」という初優勝。この年、さらに2勝して、賞金ランキングも3位となった。北田瑠衣が、一気にトッププロに成長する節目となった一戦だった。(文・小川淳子)
風薫る5月。交通の便のいい東京よみうりCC(東京都稲城市)で開催される大会は、毎年、多くのギャラリーが詰めかけた。のちに舞台を茨城GCに移して公式戦になる一戦は、当時はまだツアーでも数少なかった4日間大会。最終日はあいにくの雨模様だったが、それでも5697人の観客が集まった。
トータル17アンダーの単独首位でこの日を迎えた北田を3打差で追うのは、アマチュアだった諸見里しのぶ。さらに1打遅れて、不動がいた。前年まで4年連続賞金女王タイトルを手にし、この年もすでに3戦1勝していた。
「前の日は全然眠れなかった。翌日のラウンドのシミュレーションばっかりしていました。1番、2番、3番…って1打1打頭の中で。もっとツアーに慣れていれば最終日のピンポジ(ション)はあの辺だな、とかわかるんですけど、初めてだからわからなくて。18ホールシミュレーションしていたら寝られなかった」。初めての優勝争いに緊張はピークに達していた。
諸見里、不動と回る最終組。1番ティでは「地に足がついていなかった」というほどの重圧がかかっていた。それでも「朝イチのティーショットが、思い通り打てれば大丈夫」と自分に言い聞かせ、無事、スタートしていった。
02年に20歳でプロ入りした北田は、翌03年にステップ・アップ・ツアーの「徳島・月の宮レディースカップ」で優勝している。この頃からしばらくが「人生の中で一番ゴルフのことを考えている時代でした」と、多くのプロが活用する宅配便でクラブを送ることをまったくしなかった。「(福岡の)家に帰っても帰らなくても、必ずどこかの練習場に行ってクラブを握ってないと不安だったんです。プロになった以上は、試合に出られないとプロじゃない。予選は通らなくちゃ。いいゴルフをしたい、って」と、ゴルフ漬け。その甲斐あっての優勝争いだった。
優勝したステップの大会では、環境が変わる縁もあった。大会後の“アフタープロアマ”で、JLPGA会長だった樋口久子と一緒にプレーした。現在の女子ツアーとは環境が違い、新人が置かれた環境はまだまだ厳しかった頃のこと。ウェア契約もなく、自分で購入しているものを着用して試合に出ていることを話すと、樋口がウェアメーカーを紹介してくれた。おかげで、04年はウェアの提供を受けながら試合に出ることができた。現在、所属するマネジメント会社も「これから必要だから」と紹介してくれた。北田の可能性を見抜いていたのかもしれない。
スタート後、落ち着いた北田は、2番、4番、7番とバーディを重ねていく。不動は2バーディー、2ボギー、諸見里はここまで全ホールパー。2位との差は6打に広がっていた。
ところが、中盤でつまずいた。8番から3連続ボギーでトータル17アンダー。振り出しに戻っただけだったが、ツアーでの優勝経験がないだけに、このままずるずる崩れてもおかしくない状況だ。北田は、ここで発奮した。
「初優勝がかかっているから(このまま崩れたら)『プレッシャーで負けたんだろう』って周りから思われるだろうな、って。そんなストーリーが自分の頭の中で出てきちゃって。だから『これはちょっと負けられないぞ』という気持ちになったんです」と、見事に気持ちを切り替えた。
「前半、バーディを重ねていたので、意外と冷静になった部分もあったかもしれません。無理にバーディを狙うんじゃなくて、待っていればチャンスが来るかなって」と考える余裕もあった。
11番をパーで落ち着くと、14番までパーを重ねる。15番こそボギーを叩いたが、不動も14番バーディを獲っただけで差を詰め切れない。
18番は、難易度の高いパー3として知られる名物ホール。距離もあり、手前から攻めていくのがセオリーだ。「ピンは手前に切ってあって(グリーン)横や上からだと難易度が高い。ハウスキャディさんと『絶対手前から』と話していたのを覚えています。1打差だったらプレーオフで負けてたいかもしれませんけど、不動さんと2打差あったので、ミスさえしなければ大丈夫、と思えました。うまい具合に花道に打つことができて」と、パーで切り抜けた。
圧倒的強さを誇っていた不動相手に、堂々の2打差逃げ切りで手にした初優勝。しかし「できればそっとしておいてほしいタイプ」だった北田は、すぐに優勝スピーチのプレッシャーに襲われた。
この日は母の日。4年前、短大1年だった北田の母、秀子さんは45歳の若さで急死していた。その死が、プロ転向を決意するきっかけになっていた。「メディアのみなさんに母の日がらみで色々と聞かれました。『よく勝てたな』と思った時に『それこそ母が見ていてくれたのかな』と思って」と、しみじみ、それをかみしめた。
「不動さんとプレーするワクワク感や、ギャラリーの方が応援して下さることを肌で感じながら優勝できてよかった。自信になりました」という初優勝。この年、さらに2勝して、賞金ランキングも3位となった。北田瑠衣が、一気にトッププロに成長する節目となった一戦だった。(文・小川淳子)