5人プレーオフの激戦の記憶を手繰ってくれたのは、高村亜紀だ。ミレニアムイヤーの2000年9月。福島県のリベラルヒルズGCで行われた日本女子プロゴルフ選手権は、1987年米女子ツアー賞金女王で、当時、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)副会長でもあった岡本綾子の手によるタフなセッティングになっていた。
初日のアンダーパーは10人。3アンダーで首位に立ったのは天沼知恵子、表純子、金沢鈴華の3人。1打差の2アンダーで米山みどり、土屋陽子、藤野オリエが追走し、高村はさらに1打遅れた7位タイにいた。
「コースが難易度を増した」という2日目。3バーディー・1ボギーで回った高村が通算3アンダーで単独首位に立った。この日、最後までプレーした128人の中で、アンダーパーでプレーしたのは4人だけだった。首位の高村に1打ビハインドで天沼。さらに2打遅れて米山みどりが追う展開となった。
■高村はメジャーを強く意識していなかったというが……
穏やかな天候の3日目、スコアを伸ばす選手もちらほらいる中、高村はイーブンパーでプレーして通算3アンダーの首位を堅守。2打差で天沼。3打差で中野晶。4打差で平瀬真由美、小野香子がいた。
上位陣の中で最も優勝経験があるのは、この年のフジサンケイレディスで国内18勝(1996年東レジャパンは米ツアーの資格で出場しての優勝のためカウントせず)の平瀬だった。平瀬は米ツアーから戻り、この年5月に結婚したばかりだった。
次に実績があるのが8勝している中野、3番目が高村だ。1995年日本女子プロ、96年日本女子オープンの公式戦2勝を筆頭に、これまでに7勝を挙げていた。
「元々、私は『メジャーにかける』という気持ちをあまり持っていなかったんです。たくさんある試合のひとつという意識で、いつもプレーしていました」と、平常心で臨んでいた。ただ、前年に優勝がなかったこともあり、優勝への思いは強かった。この週のキャディは、仲よくなった米山みどりの友人で「一緒に楽しくやろう!という気持でした」と、笑顔が目立っていたと話す。その米山が、最後に優勝を争う相手のひとりになるとは、この時点ではふたりともイメージしていなかった。
■最終日のバック9でメジャーを意識
高村が「メジャー(公式戦)を始めて意識した」のは、最終日のバックナインに入ってからだ。「過去2回(の公式戦優勝)はあるけど、年齢的なものもあったのかもしれません」。28歳になってプレーする中で、タイトルの重みがわかった頃だったのかもしれない。
9番でバーディーを奪ってひとつスコアを伸ばしたことで「『あ!メジャーでまた勝てるかも』という思いが、ハーフターンで頭をよぎったんです。それまでと変わらずプレーを続けたつもりでしたが、気持ちがボールに出ちゃったんだと思います」。同じ最終組の中野、天沼らがいいプレーで追いかけてくる中、11番、14番、17番ボギーで通算1アンダー。米山、小野が先に1アンダーでホールアウトしているパー5の18番へ向かった。
イーブンパーだった中野と天沼が最終18番でバーディー。対する高村は「後半、勝ちたいという気持ちと焦りもあってショットが悪くて、思ってもないところに行っちゃってたんです。拾って拾って、の感じでした。18番も3打目で100ヤード以上残っていたのを、何とかパーにして、プレーオフになった感じでした」と、薄氷の通算1アンダーを振り返る。
高村、天沼、中野、小野、米山の5人でプレーオフに突入した。プレーオフの前に、仲のいい米山に言われた言葉を高村ははっきりと覚えている。「まさか亜紀さんが落ちてくるわけないと思ったから、お風呂に入って帰る支度してたのに」。高村に5打のビハインドで早い組だった米山だけに、高村の失速が想定外だったことがよく伝わってくるエピソードだ。
プレーオフになったことで、高村の気持ちが切り替わった。「優勝、というよりも、楽しかった時を思い出して、やれるだけやろう、と開き直ったんです。5人もいたので、ガツガツピリピリしている人もいれば、いつもと変わらない人もいる感じでした。私は思い切って自分のゴルフができました」。
サバイバルの舞台は、516ヤードパー5の18番。全員が3打目勝負を選択。高村は残り85ヤードを1.5メートルのチャンスにピタリとつけた。残る4人も3オンしたが、チャンスらしいチャンスに寄せることはできなかった。
4人がバーディパットを外した後。高村がしっかりとチャンスを沈めてバーディー奪取。5人が入り乱れる戦いに、1ホールで決着をつけた。
「一番脂の乗ってる時期でした」と振り返る公式戦3勝目。自分を信じて打ったウイニングパットで、激戦の末。ツアー通算8勝目をつかみ取った。(取材/文・清流舎 小川淳子)
初日のアンダーパーは10人。3アンダーで首位に立ったのは天沼知恵子、表純子、金沢鈴華の3人。1打差の2アンダーで米山みどり、土屋陽子、藤野オリエが追走し、高村はさらに1打遅れた7位タイにいた。
「コースが難易度を増した」という2日目。3バーディー・1ボギーで回った高村が通算3アンダーで単独首位に立った。この日、最後までプレーした128人の中で、アンダーパーでプレーしたのは4人だけだった。首位の高村に1打ビハインドで天沼。さらに2打遅れて米山みどりが追う展開となった。
■高村はメジャーを強く意識していなかったというが……
穏やかな天候の3日目、スコアを伸ばす選手もちらほらいる中、高村はイーブンパーでプレーして通算3アンダーの首位を堅守。2打差で天沼。3打差で中野晶。4打差で平瀬真由美、小野香子がいた。
上位陣の中で最も優勝経験があるのは、この年のフジサンケイレディスで国内18勝(1996年東レジャパンは米ツアーの資格で出場しての優勝のためカウントせず)の平瀬だった。平瀬は米ツアーから戻り、この年5月に結婚したばかりだった。
次に実績があるのが8勝している中野、3番目が高村だ。1995年日本女子プロ、96年日本女子オープンの公式戦2勝を筆頭に、これまでに7勝を挙げていた。
「元々、私は『メジャーにかける』という気持ちをあまり持っていなかったんです。たくさんある試合のひとつという意識で、いつもプレーしていました」と、平常心で臨んでいた。ただ、前年に優勝がなかったこともあり、優勝への思いは強かった。この週のキャディは、仲よくなった米山みどりの友人で「一緒に楽しくやろう!という気持でした」と、笑顔が目立っていたと話す。その米山が、最後に優勝を争う相手のひとりになるとは、この時点ではふたりともイメージしていなかった。
■最終日のバック9でメジャーを意識
高村が「メジャー(公式戦)を始めて意識した」のは、最終日のバックナインに入ってからだ。「過去2回(の公式戦優勝)はあるけど、年齢的なものもあったのかもしれません」。28歳になってプレーする中で、タイトルの重みがわかった頃だったのかもしれない。
9番でバーディーを奪ってひとつスコアを伸ばしたことで「『あ!メジャーでまた勝てるかも』という思いが、ハーフターンで頭をよぎったんです。それまでと変わらずプレーを続けたつもりでしたが、気持ちがボールに出ちゃったんだと思います」。同じ最終組の中野、天沼らがいいプレーで追いかけてくる中、11番、14番、17番ボギーで通算1アンダー。米山、小野が先に1アンダーでホールアウトしているパー5の18番へ向かった。
イーブンパーだった中野と天沼が最終18番でバーディー。対する高村は「後半、勝ちたいという気持ちと焦りもあってショットが悪くて、思ってもないところに行っちゃってたんです。拾って拾って、の感じでした。18番も3打目で100ヤード以上残っていたのを、何とかパーにして、プレーオフになった感じでした」と、薄氷の通算1アンダーを振り返る。
高村、天沼、中野、小野、米山の5人でプレーオフに突入した。プレーオフの前に、仲のいい米山に言われた言葉を高村ははっきりと覚えている。「まさか亜紀さんが落ちてくるわけないと思ったから、お風呂に入って帰る支度してたのに」。高村に5打のビハインドで早い組だった米山だけに、高村の失速が想定外だったことがよく伝わってくるエピソードだ。
プレーオフになったことで、高村の気持ちが切り替わった。「優勝、というよりも、楽しかった時を思い出して、やれるだけやろう、と開き直ったんです。5人もいたので、ガツガツピリピリしている人もいれば、いつもと変わらない人もいる感じでした。私は思い切って自分のゴルフができました」。
サバイバルの舞台は、516ヤードパー5の18番。全員が3打目勝負を選択。高村は残り85ヤードを1.5メートルのチャンスにピタリとつけた。残る4人も3オンしたが、チャンスらしいチャンスに寄せることはできなかった。
4人がバーディパットを外した後。高村がしっかりとチャンスを沈めてバーディー奪取。5人が入り乱れる戦いに、1ホールで決着をつけた。
「一番脂の乗ってる時期でした」と振り返る公式戦3勝目。自分を信じて打ったウイニングパットで、激戦の末。ツアー通算8勝目をつかみ取った。(取材/文・清流舎 小川淳子)