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大王製紙エリエールレディス
「気合」と「根性」で走り続けた20年 ツアー生活にピリオドを打った上田桃子の“矜持”
今季限りでツアーの第一線を退く上田桃子は予選落ち。ラウンド後には、多くの選手たちがコースに残り、“第二の人生”へ送り出した。
配信日時:2024年11月15日 10時13分
<大王製紙エリエールレディス 2日目◇15日◇エリエールゴルフクラブ松山(愛媛県)◇6575ヤード・パー71>
上田桃子のツアー生活20年を締めくくる最後の一打は、1メートルのボギーパットだった。『桃ちゃん♡ 20年間 お疲れ様 たくさんの感動をありがとう』。この日のために用意した横断幕や応援タオルを広げた大勢のファンが18番グリーンを取り囲み、プレーを終えた多くの選手たちも見守った。万感のフィナーレ。2007年の賞金女王は少し照れ臭そうに笑顔を浮かべ、何度も手を振った。
「うまくなりたい、強くなりたいと思ってやってきたけど、3パット。最後までうまくなれなかったなぁと思いました。でも、この20年、精いっぱいうまくなりたい、強くなりたいと毎日考えてきた。もし誇れることがあるとすれば、そこだけですかね」
2005年7月のプロテストに一発合格し、同年9月の「マンシングウェアレディース東海」でデビュー。そこから450試合目の今大会が第一線から退くラストゲームとなった。トータル4オーバーの88位タイでデビュー戦と同じ予選落ち。喜怒哀楽を表にはっきりと出し、予選落ちのときには取りつく島もない試合もあった。だが、もう自分に怒る必要も、悔いることもない。気迫あふれるプレーで見る者をワクワクさせてきたベテランは静かに戦いの舞台を下り、立ち止まることなく、走り続けてきたプロ人生を振り返った。
「今の若い選手は本当にうまい。私がアドバイスできることなんてないし、今の時代にはそぐわないかもしれないけど、気合と根性で少なくとも私は戦ってきた。時代に逆行するかもしれないけど、その気持ちは大事だと思います」
思い出に残る試合には07年11月の「ミズノクラシック」(現TOTOジャパンクラシック)を挙げた。2度目の出場だった日米ツアー共催大会を制し、米ツアーの出場資格を手に入れた。最終日の7番パー5では自身初、ツアー史上8人目のアルバトロスも達成し、日本ツアー通算4勝目を手にした。
「まさか自分がアメリカでプレーできるなんて夢にも思っていなかった。あの試合に勝って、アメリカで挑戦できる権利をもらった。やっぱり、ゴルフ人生というか人生が大きく変わった、あの試合ですね」。プロ3年目だったこの年は、地元・熊本で行われた4月の「ライフカードレディス」でツアー初優勝を飾り、そこから6勝を積み上げて史上最年少(当時)の21歳で賞金女王に輝いた。
ツアー通算17勝(米ツアーメンバーで出場した11年ミズノクラシックを含む)。60試合に出場した国内メジャーで勝てなかったことは心残りがあるかもしれないが、やりきった20年に悔いはない。全選手がホールアウトした後には、大会側と選手が企画したセレモニーがギャラリーも見守るなかで行われた。早い時間に競技を終えていた選手も多くが残り、選手はフロントに上田の顔写真、バックにすべての優勝トーナメントがプリントされた特製のTシャツも用意。「まさかあんなに多くの選手が残ってくれているなんて思ってもいなかった」というサプライズの演出だった。
「20年応援していただき感謝の気持ちしかありません。もう20年かという感じで、たくさんキツいこともあったけど、プロゴルファーをやってきてよかったです」。挨拶では涙腺も崩壊。そして、多くの仲間たちに向かって「たくさん仲良くしてくれてありがとう」と頭を下げた。
「新しいことにチャンレンジしたい」と話していた今後については「本当にまだ何も決まっていない」と未定という。ただ、35歳の誕生日だった21年6月に同い年の会社員男性と結婚したミセスは、「女性として生きることも一つの新しいチャレンジ。社会人として生きることの方がゴルファーよりも大変かも」と話した。
以前、色紙にしたためた座右の銘は「日々成長」。ツアーからは退き、どんなフィールドに行くことになっても『戦う桃子』は不変だ。(文・臼杵孝志)
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