レギュラーツアーで苦しむ53歳に、芹澤は藤田にどんな“魔法”をかけたのか。「初めてスイングを見た人に、ちょっと教えただけで良くなるかっていったら無理だと思うけど、藤田のスイングはずっと見ているからね。『良いスイング』というより、『稼げるスイング』しようと。もともとのうちのテーマは稼げるスイングですから」と芹澤は語る。
藤田が芹澤の門を叩いたのは、1995年の春だった。チームセリザワのテーマはそのときから一貫している。
『チーピンは出世の妨げ』
左へのミスは大ケガにつながる。飛ばなくても左へのミスが少ないフェードボールが芹澤の教えの基本となる。もともと右に出て左に曲がるドローボールを打っていた藤田は「そのドローじゃ稼げないだろう」と芹澤から指摘され、低いフェードボールを練習するようになった。すると大きなミスが減って97年になると成績が上がってきた。その後、藤田はレギュラーツアーで18勝を挙げ、2012年には賞金王に輝くことになる。
今週、芹澤は「ちょっと開いたのを閉じただけ」というが、スイングのイメージを言葉だけでなく形で見せて教えることで、藤田が好調だった頃のスイングの感覚を呼び覚ましたのだ。
また、シニアツアーという環境も、藤田が復調した要因の1つだと芹澤は考えている。「シニアでは周りが自分と同じ距離だから、いいスイングでできるんです。レギュラーに行って飛ばそうとすると、無意識に体の動きがデカくなってクラブの動きが変わってきちゃう。藤田に『リキまないでライナーでいいよ』って言っても環境がそうさせてくれない。でもシニアで回ったらセカンドオナーではない。気分が良くなってラインも出ちゃいますよ」と、ケタケタと笑いながら言うのだ。
藤田が芹澤の門を叩いたのは、1995年の春だった。チームセリザワのテーマはそのときから一貫している。
『チーピンは出世の妨げ』
左へのミスは大ケガにつながる。飛ばなくても左へのミスが少ないフェードボールが芹澤の教えの基本となる。もともと右に出て左に曲がるドローボールを打っていた藤田は「そのドローじゃ稼げないだろう」と芹澤から指摘され、低いフェードボールを練習するようになった。すると大きなミスが減って97年になると成績が上がってきた。その後、藤田はレギュラーツアーで18勝を挙げ、2012年には賞金王に輝くことになる。
今週、芹澤は「ちょっと開いたのを閉じただけ」というが、スイングのイメージを言葉だけでなく形で見せて教えることで、藤田が好調だった頃のスイングの感覚を呼び覚ましたのだ。
また、シニアツアーという環境も、藤田が復調した要因の1つだと芹澤は考えている。「シニアでは周りが自分と同じ距離だから、いいスイングでできるんです。レギュラーに行って飛ばそうとすると、無意識に体の動きがデカくなってクラブの動きが変わってきちゃう。藤田に『リキまないでライナーでいいよ』って言っても環境がそうさせてくれない。でもシニアで回ったらセカンドオナーではない。気分が良くなってラインも出ちゃいますよ」と、ケタケタと笑いながら言うのだ。