シニア参戦2年目となった宮本勝昌の2023年シーズンを振り返ってみると、11試合に出場して優勝3回を含むトップ10が10回。成績だけを見れば、なるべくしてシニアツアー賞金王に輝いたと言ってもいい。それでも本人は「狙って賞金王になったわけではないです。想定も想像もしてなかった。『振り返ってみれば』という表現のほうが僕は好きなんですけど、とてもいいシーズンでした」と謙虚に話す。
宮本は22年9月の「コマツオープン」でシニアデビューを果たした。当時はレギュラーツアーのシード権も保持しており、「すぐに勝つだろう」と周囲は見ていた。しかし、その予想に反して宮本は苦戦する。シニア初戦の7位タイに始まり、6位タイ、2位、2位タイ、7位タイと出場した5試合すべてでトップ10入りしながら、デビューイヤーは優勝できずに終わった。
そして迎えた23年シーズン。歓喜の瞬間は8月の「ファンケルクラシック」で訪れた。最終日は首位の細川和彦を2打差で追ってスタートすると、前半から順調にスコアを伸ばし13番のバーディでついに逆転。最後は後続に3打差をつけて念願のシニア初優勝を遂げた。
■盟友・片山晋呉とのプレーオフは「もっとやりたかった」
そして、2勝目は10月の2日間競技「福岡シニアオープン」。ここでは片山晋呉と記憶に残る熱戦を繰り広げた。
宮本は首位と3打差の2アンダーで最終日を迎えると、スタートの1番から4連続バーディで勢いに乗り、終わってみれば10バーディ・ボギーなしの「62」をマーク。一日で10個スコアを伸ばし、トータル12アンダーでクラブハウスリーダーとなった。
その時点でまだ多くの選手がホールアウトしていなかったが、後続をかなり突き放していたこともあり、宮本の勝利ムードが漂う。しかしそこに待ったをかけたのが水城高校、日本大学の同級生、片山だった。13番から18番まで6連続バーディを奪い、トータル12アンダーで並んだのだ。
「シンゴは残り3ホールで3打差あった。そこから16番を獲り、17番を獲ったところで18番はパー5だったのでほぼほぼ獲ってくると分かっていた。慌てて(プレーオフに備え)パターの練習に行ったのを覚えています」
勝ったと思っていたほうが追いつかれてプレーオフで負けるのはよくある話。宮本の気持ちは一度切れかけており、土壇場で追いついた片山に分があるかに思われた。プレーオフは18番パー5の繰り返し。しかし、宮本にはまったく別の感情が湧いてきていた。「18番のティイングエリアに向かうときからワクワクしていました」というのだ。
ちなみに宮本のレギュラーツアー時代のプレーオフ戦績は2勝3敗。「今まではどっちかというとプレーオフは『嫌だな』という感じ。ワクワク感はなかった。でもそのときはカートに乗せてもらいながら『このワクワク感は何だろう?』というくらい楽しめていた。自分を客観的に見ていましたね」。プレーオフ1ホール目はともにパー。2ホール目で宮本がバーディを沈め、片山が外した時点で勝敗が決した。
「シンゴがバーディパットを外したときに『うわー終わっちゃった』と。もっとやりたかったですね。シニアは表彰式に全員出席しないといけないので、先輩方の『早く終われ』っていう空気感は分かっていました(笑)。でも僕はただ一人、もっとやりたかったと思っていたんです」
宮本がそう感じていたのはやはり相手が特別な存在だったからだ。「高校、大学で一緒。もっと遡れば、中学3年生のときから同じホテルに泊まって試合に出たりしていた。友達でもあり、尊敬するプロゴルファーの1人でもある。レギュラーツアー31勝の数少ない永久シード選手で戦績だけ見てもすごい。そんな選手が同級生にいるのは誇らしいし、いま思えばそりゃワクワクするよなという感じ」。片山をリスペクトしているからこそ、胸躍る時間となった。
■賞金王を決めた宮本に片山が放った驚きの言葉
勝てば文句なしの賞金王が決まる最終戦の「いわさき白露シニア」。初日は多くの選手がスコアを落とす強風の中、首位と2打差のイーブンパーに踏みとどまる。風が止んだ2日目に1イーグル・4バーディ・ボギーなしの「66」を出して、単独トップに躍り出ると、最終日は後続を1打差で振り切り優勝。自身初めてとなる賞金王のタイトルを獲得した。
最終戦の表彰式後は盟友の片山と仲良く写真に収まり、「あれはうれしかった」と宮本。そのとき、『俺は5回やっているから』とレギュラー時代に5度の賞金王を獲得したことを持ち出し、マウントを取るところは片山らしい。「言われた瞬間にこいつはすげーなと思いましたよ」と宮本は笑う。
アマチュア時代からしのぎを削ってきたライバル同士の戦いはまだ続く。いよいよ今週18日、「ノジマチャンピオンカップ箱根 シニアプロゴルフトーナメント」から国内シニアツアーが開幕する。