メジャー5勝を含む、米国女子ツアー通算15勝を挙げた台湾のスタープレーヤー、ヤニ・ツェンがきょう23日で33歳を迎えた。
宮里藍と談笑して歩くヤニ・ツェン【写真】
ヤニは2007年にプロ転向してレディース・アジアン・ゴルフツアー「DLF Women’s Indian Open」でプロ初優勝。2007年12月の米国女子ツアーのQTを6位で突破し、翌08年のメジャー「マクドナルドLPGA選手権」(全米女子プロ)で、米ツアー初優勝。台湾人初のメジャー制覇は、当時の同大会の最年少優勝記録となる19歳で成し遂げた。また、この年は『LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤー』にも選ばれた。
2010年からはツアーの中心に躍り出る。10年はメジャー2勝を含む年間3勝を挙げ、ツアー史上2番目の若さで『最優秀選手賞』を獲得。翌11年もメジャー2勝を含む年間7勝をマークし、『賞金女王』とともに2年連続で『最優秀選手賞』に。同年のスタッツは、269.25ヤードで1位となったドライビングディスタンスをはじめ、平均スコアやバーディ数など多くの部門で1位となった。そのズバ抜けたショット力で、2011〜13年に109週間に渡って世界ランク1位に君臨。これはロレーナ・オチョア(メキシコ)、コ・ジンヨン(韓国)に次ぐ記録となっている。
だが、その後は不調に見舞われる。13年に世界ランク1位の座を明け渡すと、賞金ランキング38位でシーズンをフィニッシュ。12年3月の「キア・クラシック」以来、約10年もの間、優勝から遠ざかっている。19年に怪我を負ったこととコロナの影響で2020シーズンの出場はなく、2021シーズンは8試合に出場したものの、すべてで予選落ちし、獲得賞金は0だった。
米国女子ツアーを主戦場に戦った宮里藍と仲が良く、宮里の引退試合となった17年の「エビアン選手権」では、ポーラ・クリーマー(米国)とともに予選ラウンドの同伴競技者に指名された。そして、ヤニは予選落ちしたにも関わらず、最終日の18番グリーンで宮里の最後のラウンドを出迎えた。
宮里藍と談笑して歩くヤニ・ツェン【写真】
ヤニは2007年にプロ転向してレディース・アジアン・ゴルフツアー「DLF Women’s Indian Open」でプロ初優勝。2007年12月の米国女子ツアーのQTを6位で突破し、翌08年のメジャー「マクドナルドLPGA選手権」(全米女子プロ)で、米ツアー初優勝。台湾人初のメジャー制覇は、当時の同大会の最年少優勝記録となる19歳で成し遂げた。また、この年は『LPGAルーキー・オブ・ザ・イヤー』にも選ばれた。
2010年からはツアーの中心に躍り出る。10年はメジャー2勝を含む年間3勝を挙げ、ツアー史上2番目の若さで『最優秀選手賞』を獲得。翌11年もメジャー2勝を含む年間7勝をマークし、『賞金女王』とともに2年連続で『最優秀選手賞』に。同年のスタッツは、269.25ヤードで1位となったドライビングディスタンスをはじめ、平均スコアやバーディ数など多くの部門で1位となった。そのズバ抜けたショット力で、2011〜13年に109週間に渡って世界ランク1位に君臨。これはロレーナ・オチョア(メキシコ)、コ・ジンヨン(韓国)に次ぐ記録となっている。
だが、その後は不調に見舞われる。13年に世界ランク1位の座を明け渡すと、賞金ランキング38位でシーズンをフィニッシュ。12年3月の「キア・クラシック」以来、約10年もの間、優勝から遠ざかっている。19年に怪我を負ったこととコロナの影響で2020シーズンの出場はなく、2021シーズンは8試合に出場したものの、すべてで予選落ちし、獲得賞金は0だった。
米国女子ツアーを主戦場に戦った宮里藍と仲が良く、宮里の引退試合となった17年の「エビアン選手権」では、ポーラ・クリーマー(米国)とともに予選ラウンドの同伴競技者に指名された。そして、ヤニは予選落ちしたにも関わらず、最終日の18番グリーンで宮里の最後のラウンドを出迎えた。