1976年生まれ、オーストラリア出身のマイケル“トモヤ”スミス。母は日本人、父はオーストラリア人のミックスだ。自身も子どものころからゴルフに親しみ競技で勝ち、プロに転向してオーストラリアツアーへ参戦した。1998年にアメリカへ渡り、ミニツアーを転戦。その後、2002年には母親の祖国・日本に来日して、JGTOのツアープレーヤーとなり、千葉県のゴルフ場でアドバイザリースタッフになる。
「そのときは日本語をゼンゼン喋れなくて……“コンニチワ”くらい(笑)。でもそこからガンバって覚えました」
2007年には横峯さくらの父・良郎さんが主宰する「さくらゴルフアカデミー」(鹿児島)のヘッドプロとなり、ジュニア時代の出水田大二郎や池村寛世を教えていた。2009〜2014年は母国オーストラリアでペリスGCのヘッドプロに。ジュニアのインストラクターとしてのキャリアは20数年に及び、大人のゴルファーよりジュニアを教えた経験のほうが多いとか。ちなみに、TPI(タイトリスト パフォーマンス インスティテュート)は「レベル1」と「レベル2 ジュニア」の資格を持つ。
「オーストラリアのコースではジュニアシステムのマネージャーになり、ジュニアの育成プログラムを作りました。コース対抗のチーム戦では、そのジュニアチームが20年ぶりにファイナル(決勝戦)まで行ったんです。そこではスポンサーもついて素晴らしいジュニアの育成システムがありましたが、やっぱり日本が好きだし、ボクなりに(日本の)ジュニアのシステムを変えられるかなと思って、2014年の後半に再び来日しました」
それからはずっと日本にいて、大人とともにジュニアのレッスンを続けている。6年前には、自身の40歳の誕生日に日本人の女性と結婚した。
「ジュニアのコーチが指導法について聞きに来ると、ボクは時間を作ってアドバイスするようにしています。お金がどうこうじゃありません。ボク自身、ティーチングのノウハウはしっかりと持っていると思いますが、常にレベルアップしたいし、ジュニアのレッスンをもっとやりたい。いま足りないことはないか、もっと違うことができないか。決して『オレはこうなんだ。何でも分かっている』と決めつけず、新しいアイディアを模索し続けているし、ティーチングのさらなるスキルアップのために日々、努めています」(取材・文/新井田聡)
「そのときは日本語をゼンゼン喋れなくて……“コンニチワ”くらい(笑)。でもそこからガンバって覚えました」
2007年には横峯さくらの父・良郎さんが主宰する「さくらゴルフアカデミー」(鹿児島)のヘッドプロとなり、ジュニア時代の出水田大二郎や池村寛世を教えていた。2009〜2014年は母国オーストラリアでペリスGCのヘッドプロに。ジュニアのインストラクターとしてのキャリアは20数年に及び、大人のゴルファーよりジュニアを教えた経験のほうが多いとか。ちなみに、TPI(タイトリスト パフォーマンス インスティテュート)は「レベル1」と「レベル2 ジュニア」の資格を持つ。
「オーストラリアのコースではジュニアシステムのマネージャーになり、ジュニアの育成プログラムを作りました。コース対抗のチーム戦では、そのジュニアチームが20年ぶりにファイナル(決勝戦)まで行ったんです。そこではスポンサーもついて素晴らしいジュニアの育成システムがありましたが、やっぱり日本が好きだし、ボクなりに(日本の)ジュニアのシステムを変えられるかなと思って、2014年の後半に再び来日しました」
それからはずっと日本にいて、大人とともにジュニアのレッスンを続けている。6年前には、自身の40歳の誕生日に日本人の女性と結婚した。
「ジュニアのコーチが指導法について聞きに来ると、ボクは時間を作ってアドバイスするようにしています。お金がどうこうじゃありません。ボク自身、ティーチングのノウハウはしっかりと持っていると思いますが、常にレベルアップしたいし、ジュニアのレッスンをもっとやりたい。いま足りないことはないか、もっと違うことができないか。決して『オレはこうなんだ。何でも分かっている』と決めつけず、新しいアイディアを模索し続けているし、ティーチングのさらなるスキルアップのために日々、努めています」(取材・文/新井田聡)