山崎が、この手術が『延命治療』であると思ったのは、どうやら、この手術後のCPKの高数値や、濱田医師から家族への許諾確認する際の『手術中に亡くなる可能性もある難しい手術である』という言葉が、混濁する意識のなかで、時間軸が前後してしまったのかもしれない。
では、なぜこのときの彼は、『延命のための手術』を受ける決断をしたのだろうか。心境を訊いてみた。
「それは、このまま死んじゃったら、と思ったから。かみさんとか子供とかに伝えたいこととかあるじゃないですか。もし(数日でも)生きていられるなら、金銭的なことだったり、死ぬ前にやらないといけない手続きを、家族や人に頼めるなと、そういうふうに思って。生きたいという『命乞い』じゃなかったですね。あと何よりも、今のこの気持ち悪い状態、これをなんとかしてほしい、消してほしい、それで手術をしてほしいと思ったのかなと思います」
死を意識した切迫した状況で山崎は、『いま、自分はこうしたい』ということを考えて、その選択をしたのだという。
人生は『あや取り』のようなものである。人は、日々の生活で何らかの選択を続けながら生きているわけで、その都度、自分が選んだ紐を引きながら最終的に自分の思い描いた人生の形に作っていく。時には選択を間違え、思い描いた形が変わってしまうこともある。ある日突然、訪れるかもしれない山崎泰宏のケースのような“最後の選択”のときに、あなたはどの紐を引くのだろうか。(取材・文/古屋雅章)
では、なぜこのときの彼は、『延命のための手術』を受ける決断をしたのだろうか。心境を訊いてみた。
「それは、このまま死んじゃったら、と思ったから。かみさんとか子供とかに伝えたいこととかあるじゃないですか。もし(数日でも)生きていられるなら、金銭的なことだったり、死ぬ前にやらないといけない手続きを、家族や人に頼めるなと、そういうふうに思って。生きたいという『命乞い』じゃなかったですね。あと何よりも、今のこの気持ち悪い状態、これをなんとかしてほしい、消してほしい、それで手術をしてほしいと思ったのかなと思います」
死を意識した切迫した状況で山崎は、『いま、自分はこうしたい』ということを考えて、その選択をしたのだという。
人生は『あや取り』のようなものである。人は、日々の生活で何らかの選択を続けながら生きているわけで、その都度、自分が選んだ紐を引きながら最終的に自分の思い描いた人生の形に作っていく。時には選択を間違え、思い描いた形が変わってしまうこともある。ある日突然、訪れるかもしれない山崎泰宏のケースのような“最後の選択”のときに、あなたはどの紐を引くのだろうか。(取材・文/古屋雅章)