心筋梗塞を発症して以来、一週間に及んだ『死の恐怖』との対峙を終え、山崎の体は息を吹き返したのである
「点滴の数が8本、7本、6本と減っていき、13日目に右足の付け根に入っていた心臓にカテーテルを入れるための管が取れて、その止血が終わって傷口が開かなくなって明日一般病棟に移りますと言われたのが手術から2週間後でした。看護師さんからは『山崎さん、点滴が減っていくことは健康になっているということなんですよ』と言われ、ああ自分はちょっと元気になったんだなって思いましたね。心臓の鼓動は毎日、先生がエコーをやりに来るので、そのときに『ドッ、ドッ、ドッ』って、動いているのが見えるんです。毎日見ていると日増しに良くなっているとか、今日は弁が動いているとか、そういうのが全部見えるんですよ」
私たちは普段、生きている実感などを感じることなく漫然と生きているが、『死と向き合う7日間』を経験した山崎にとっては、一本一本減っていく管や画面に映るドッ、ドッという蠢動は、目で見て肌で感じることが出来る自分が生きている実感であり、その増減は彼に生きる希望を与えたのである。(取材・文/古屋雅章)
「点滴の数が8本、7本、6本と減っていき、13日目に右足の付け根に入っていた心臓にカテーテルを入れるための管が取れて、その止血が終わって傷口が開かなくなって明日一般病棟に移りますと言われたのが手術から2週間後でした。看護師さんからは『山崎さん、点滴が減っていくことは健康になっているということなんですよ』と言われ、ああ自分はちょっと元気になったんだなって思いましたね。心臓の鼓動は毎日、先生がエコーをやりに来るので、そのときに『ドッ、ドッ、ドッ』って、動いているのが見えるんです。毎日見ていると日増しに良くなっているとか、今日は弁が動いているとか、そういうのが全部見えるんですよ」
私たちは普段、生きている実感などを感じることなく漫然と生きているが、『死と向き合う7日間』を経験した山崎にとっては、一本一本減っていく管や画面に映るドッ、ドッという蠢動は、目で見て肌で感じることが出来る自分が生きている実感であり、その増減は彼に生きる希望を与えたのである。(取材・文/古屋雅章)