■45日目
薬の調整などを続けた結果、BNPの数値が200台になる。CPXを再度行い、不整脈なく最大で166ワットまで漕ぐことができ、運動能力の改善を確認した。トレーニングの最後の仕上げに入る方針とした。
■47日目
140ワットを2分間漕いで3分間休むエクササイズを3セット行う高強度のトレーニングを行った。短い時間なら、高強度でも問題なく運動できることを確認してゴルフの許可が出た。
■48日目
退院。
■49日目
東京の所属先のゴルフメーカー、Jビームに行き、52日ぶりにフルショットでボールを打つ。
「ドライバーが滅茶苦茶重かったです。でもトラックマンで320ヤードくらい飛びました」
■51日目
ゴルフコースに行きラウンドする。
「いきなりドライバーを打ったら280ヤードくらい飛びました。それで、『俺、まだ現役でいけるな』って思いましたね。4ホール目からはティショットだけ打って休んだり、カートを運転したりして。最終ホールはドライバーで打ったら330ヤード飛びましたよ。だから、2カ月くらいやらなかったといって技術が落ちるわけでもないし、元々持っている技術をまるっきり失うことはない。飛ばすためのノウハウはまだ自分の中にある、そう確信しましたね」
山崎泰宏の現役復帰を実現させたリハビリの道筋を作り、常に近くで彼の決意とやる気を鼓吹し続けたのは濱田頼臣医師と医療スタッフだった。
濱田医師が山崎に対して厳しいリハビリを課した理由は、こうだ。
「正直、山崎さんのような優勝を争うようなレベルのプロスポーツ選手が心筋梗塞を起こしたというのは、あまり例を見ないことなんですよね。しかも、彼はそれをまたやりたいと考えていた。(病状がやや落ち着いて)山崎さん自身が今後、どうしたいかということを聞いたときに、『それ(ドラコン)ができなかったら自分は死んでいるのと一緒なんだ』という、そういう思いが山崎さんの中で強かったので、そこはこちらも可能な範囲で応援してあげたいという思いがあって。それで、中途半端なまま帰してしまっても山崎さんが無理をするのは目に見えていたので、可能な限りここでリハビリをしてみませんかと提案をしたのです。
それで運動と同時に投薬を試行錯誤して、検査の数値が下がったときに、今だなと思い、最終的にゴルフができるようになることを想定したリハビリのプログラムを組み、その後、心電図などでチェックしたうえで、ある程度、向こう(長野県)に戻っても良いという許可を出せたということです。山崎さんでも『こんなきついトレーニングしたことない』と言ったほどで、普通の50代の患者さんには要求しないレベルの運動でした。最後に1つ言いたいのは、メニューを考えたのは私ではなく、理学療法士ですよ」
山崎は、自分がドラコンプロとして現役復帰できた要因をこれだと思っている。
薬の調整などを続けた結果、BNPの数値が200台になる。CPXを再度行い、不整脈なく最大で166ワットまで漕ぐことができ、運動能力の改善を確認した。トレーニングの最後の仕上げに入る方針とした。
■47日目
140ワットを2分間漕いで3分間休むエクササイズを3セット行う高強度のトレーニングを行った。短い時間なら、高強度でも問題なく運動できることを確認してゴルフの許可が出た。
■48日目
退院。
■49日目
東京の所属先のゴルフメーカー、Jビームに行き、52日ぶりにフルショットでボールを打つ。
「ドライバーが滅茶苦茶重かったです。でもトラックマンで320ヤードくらい飛びました」
■51日目
ゴルフコースに行きラウンドする。
「いきなりドライバーを打ったら280ヤードくらい飛びました。それで、『俺、まだ現役でいけるな』って思いましたね。4ホール目からはティショットだけ打って休んだり、カートを運転したりして。最終ホールはドライバーで打ったら330ヤード飛びましたよ。だから、2カ月くらいやらなかったといって技術が落ちるわけでもないし、元々持っている技術をまるっきり失うことはない。飛ばすためのノウハウはまだ自分の中にある、そう確信しましたね」
山崎泰宏の現役復帰を実現させたリハビリの道筋を作り、常に近くで彼の決意とやる気を鼓吹し続けたのは濱田頼臣医師と医療スタッフだった。
濱田医師が山崎に対して厳しいリハビリを課した理由は、こうだ。
「正直、山崎さんのような優勝を争うようなレベルのプロスポーツ選手が心筋梗塞を起こしたというのは、あまり例を見ないことなんですよね。しかも、彼はそれをまたやりたいと考えていた。(病状がやや落ち着いて)山崎さん自身が今後、どうしたいかということを聞いたときに、『それ(ドラコン)ができなかったら自分は死んでいるのと一緒なんだ』という、そういう思いが山崎さんの中で強かったので、そこはこちらも可能な範囲で応援してあげたいという思いがあって。それで、中途半端なまま帰してしまっても山崎さんが無理をするのは目に見えていたので、可能な限りここでリハビリをしてみませんかと提案をしたのです。
それで運動と同時に投薬を試行錯誤して、検査の数値が下がったときに、今だなと思い、最終的にゴルフができるようになることを想定したリハビリのプログラムを組み、その後、心電図などでチェックしたうえで、ある程度、向こう(長野県)に戻っても良いという許可を出せたということです。山崎さんでも『こんなきついトレーニングしたことない』と言ったほどで、普通の50代の患者さんには要求しないレベルの運動でした。最後に1つ言いたいのは、メニューを考えたのは私ではなく、理学療法士ですよ」
山崎は、自分がドラコンプロとして現役復帰できた要因をこれだと思っている。