ナショナルチームの仲間であり、ライバルでもある中島啓太(日体大1年)とも、強くなるためには海外に行かなければと、よく話していた。そんな中、金谷拓実の知名度をぐっと上げたのが、17年「日本オープン」だった。池田勇太と優勝争いを繰り広げたが、チャンスにつけたバーディパットを沈められず、大金星を逃し敗退。1打の重みがのしかかった。
「大学1年で日本オープン2位になってよかったといってくれる人もいますが、自分としてはミスをして負けた試合。ものすごいプレッシャーで普段は外さないような距離を外したし、チャンスがあったのに自分の力を出し切れなかったという思いが強かった」
悔しい経験を積み重ねて迎えた18年アジア・パシフィックアマチュア選手権。優勝後に口にしたのは、「やっと終わったな、と。苦しかったです」。この1試合で殻を破り、またひとつ上のステージへと歩みを進めた。
「たとえうまくいかなくても、そこでもがいてステップアップしていける選手になりたい。米ツアーに挑戦して、レベルが下の下部ツアーに落ちても、そこからはい上がって上で戦えるよう、頑張りたいと思っています」
落ち着いた受け答えの裏に見え隠れする、燃えたぎる向上心。荒削りの原石は、試合を重ねるごとに強くなる。
「大学1年で日本オープン2位になってよかったといってくれる人もいますが、自分としてはミスをして負けた試合。ものすごいプレッシャーで普段は外さないような距離を外したし、チャンスがあったのに自分の力を出し切れなかったという思いが強かった」
悔しい経験を積み重ねて迎えた18年アジア・パシフィックアマチュア選手権。優勝後に口にしたのは、「やっと終わったな、と。苦しかったです」。この1試合で殻を破り、またひとつ上のステージへと歩みを進めた。
「たとえうまくいかなくても、そこでもがいてステップアップしていける選手になりたい。米ツアーに挑戦して、レベルが下の下部ツアーに落ちても、そこからはい上がって上で戦えるよう、頑張りたいと思っています」
落ち着いた受け答えの裏に見え隠れする、燃えたぎる向上心。荒削りの原石は、試合を重ねるごとに強くなる。