この10位タイという成績は、全米オープン初出場の日本選手としては、1987年に尾崎将司が記録した17位タイを抜く最高順位だった。
■「メジャーで勝てる」力強い言葉を口に(14年)
翌年はパインハーストNO.2で開催。松山はこの2週間前に「ザ・メモリアル・トーナメント」で米ツアー初優勝を挙げ、現地でも優勝候補に名が挙げられるほどの存在となった。
初日は1アンダー、首位と4打差の6位タイと好スタートを切ったものの、2日目以降はグリーンを攻略できずに後退。最終日もチャンスこそ多く作ったが、攻めきれないシーンが続き、トータル8オーバーの35位タイで終戦した。
だが、4日間を終え「それでも僕はメジャーで勝てると思っているし、勝つと思ってやることがこれからも大事だと思う。結果が出なくても一つずつやっていく。そのためには練習しかないし、練習でしかそこは埋められない」と力強くいい切った。
■未知のタフコースで波に乗れず(15年)
■「メジャーで勝てる」力強い言葉を口に(14年)
翌年はパインハーストNO.2で開催。松山はこの2週間前に「ザ・メモリアル・トーナメント」で米ツアー初優勝を挙げ、現地でも優勝候補に名が挙げられるほどの存在となった。
初日は1アンダー、首位と4打差の6位タイと好スタートを切ったものの、2日目以降はグリーンを攻略できずに後退。最終日もチャンスこそ多く作ったが、攻めきれないシーンが続き、トータル8オーバーの35位タイで終戦した。
だが、4日間を終え「それでも僕はメジャーで勝てると思っているし、勝つと思ってやることがこれからも大事だと思う。結果が出なくても一つずつやっていく。そのためには練習しかないし、練習でしかそこは埋められない」と力強くいい切った。
■未知のタフコースで波に乗れず(15年)