「始まりは15年のBMW選手権だった」。この時トッドは第3ラウンドを最終組でプレーしていたが、4番ホールでフェアウェイから打ったセカンドショットが、その後3年間に及ぶスランプの始まりになった。
「4番アイアンで、50ヤードくらい右に出て、ブッシュも越えた場所まで飛んで行った。そのホールを『7』として、ちょっとショックを受けてしまった。それがその秋ずっと続き、右に打ってはハザードに入れて、ボールが無くなっての繰り返し…。メンタルが大きな要因だと思うけど、16年はずっと“イップス”との戦いだった」
それは深刻なものだった。「右が怖いので、左に打って…。どれほど予選落ちをしただろう」。実際、この15-16年シーズンで予選通過したのは4度だけ。50位以内に入っていた世界ランキングも18年には2000位を下回ることに。「ゴルフを辞めることも考えた」。苦しい日々が続いた。
そのトッドを救ったのは大学時代のチームメイトに勧められた「グレイト・ボールストライカー」という1冊の本だった。著者はブラドリー・ヒューズというオーストラリアのプロゴルファーだ。
「たくさんの写真とドリルがあった。選手としての感覚を取り戻し、あとはプレッシャーとの戦い。本にすごく感銘を受けて、彼に会いにも行った」
こうして昨秋には2勝を上げるまで復活。その結果、今世界選手権シリーズを戦うこともできている。ビッグネームが追い上げる最終日が真の復活劇の舞台となるのか。ぜひ注目したい。(文・武川玲子=米国在住)
「4番アイアンで、50ヤードくらい右に出て、ブッシュも越えた場所まで飛んで行った。そのホールを『7』として、ちょっとショックを受けてしまった。それがその秋ずっと続き、右に打ってはハザードに入れて、ボールが無くなっての繰り返し…。メンタルが大きな要因だと思うけど、16年はずっと“イップス”との戦いだった」
それは深刻なものだった。「右が怖いので、左に打って…。どれほど予選落ちをしただろう」。実際、この15-16年シーズンで予選通過したのは4度だけ。50位以内に入っていた世界ランキングも18年には2000位を下回ることに。「ゴルフを辞めることも考えた」。苦しい日々が続いた。
そのトッドを救ったのは大学時代のチームメイトに勧められた「グレイト・ボールストライカー」という1冊の本だった。著者はブラドリー・ヒューズというオーストラリアのプロゴルファーだ。
「たくさんの写真とドリルがあった。選手としての感覚を取り戻し、あとはプレッシャーとの戦い。本にすごく感銘を受けて、彼に会いにも行った」
こうして昨秋には2勝を上げるまで復活。その結果、今世界選手権シリーズを戦うこともできている。ビッグネームが追い上げる最終日が真の復活劇の舞台となるのか。ぜひ注目したい。(文・武川玲子=米国在住)