初めてのトップ5は15年のマスターズ。前年予選落ちの悔しさを晴らすかのように好プレーを連発。10位タイで迎えた最終日には「66」をマークして一気にジャンプアップ。メジャーで初めて上位5人に名を連ねる。
さらに翌年のマスターズは最終日を迎えた時点で首位とは2打差3位。歴史が変わる瞬間を誰もが待ち望む日曜日となった。しかし、最終日は前半4番でボギーを叩くと、5番でもボギー。さらに6番のパー3ではダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落。後半巻き返して7位タイに入ったが、初めて目の前に見えたトロフィーは、するりと手から落ちた。
同年の全米、全英オープンは予選落ち。予選カットラインの設けられる戦いでは実質5月の「ザ・プレーヤーズ選手権」から予選落ちが続くなかで迎えた8月の「全米プロゴルフ選手権」。首位とは5打差の8位タイで決勝ラウンドに進出。3日目は雷雨のためサスペンデッドとなり、最終日に36ホール戦う長丁場となったが、最終ラウンドを「68」で2つ伸ばし自身のメジャー最高位を更新する4位タイでフィニッシュした。
17年の全米オープンで順位的には最も優勝に近づくことになる。エリンヒルズゴルフコースで総距離7845ヤードに設定された初日は84位と大きく出遅れ。だが、2日目にボギーなしの7バーディ「65」で8位タイへと急浮上すると、最終日にベストスコアとなる「66」をマークし、トータル12アンダーの2位タイでフィニッシュ。メジャー大会での自己最高位を更新するとともに、80年の全米オープンで青木功がマークした日本選手最高位に並んだ。
そして、最もタイトルに近づいたのが、同年行われた全米プロ。前週の世界ゴルフ選手権「WGC-ブリヂストン招待」で優勝という、最高のかたちで入った松山には周囲の期待も大きく、米ツアーの公式サイトでの優勝予想ランキングでは堂々一位に挙げられる。
日本の怪物は、そんな前評判に違わぬ活躍を見せる。初日こそ首位と3打差の15位タイに終わったが、サスペンデッドとなった2日目に「64」を叩きだし暫定首位に浮上。3日目にスコアを落としたが、首位と1打差のトータル6アンダー2位タイ。タイトルを狙える位置で最終日を迎えた。
さらに翌年のマスターズは最終日を迎えた時点で首位とは2打差3位。歴史が変わる瞬間を誰もが待ち望む日曜日となった。しかし、最終日は前半4番でボギーを叩くと、5番でもボギー。さらに6番のパー3ではダブルボギーを叩いて優勝戦線から脱落。後半巻き返して7位タイに入ったが、初めて目の前に見えたトロフィーは、するりと手から落ちた。
同年の全米、全英オープンは予選落ち。予選カットラインの設けられる戦いでは実質5月の「ザ・プレーヤーズ選手権」から予選落ちが続くなかで迎えた8月の「全米プロゴルフ選手権」。首位とは5打差の8位タイで決勝ラウンドに進出。3日目は雷雨のためサスペンデッドとなり、最終日に36ホール戦う長丁場となったが、最終ラウンドを「68」で2つ伸ばし自身のメジャー最高位を更新する4位タイでフィニッシュした。
17年の全米オープンで順位的には最も優勝に近づくことになる。エリンヒルズゴルフコースで総距離7845ヤードに設定された初日は84位と大きく出遅れ。だが、2日目にボギーなしの7バーディ「65」で8位タイへと急浮上すると、最終日にベストスコアとなる「66」をマークし、トータル12アンダーの2位タイでフィニッシュ。メジャー大会での自己最高位を更新するとともに、80年の全米オープンで青木功がマークした日本選手最高位に並んだ。
そして、最もタイトルに近づいたのが、同年行われた全米プロ。前週の世界ゴルフ選手権「WGC-ブリヂストン招待」で優勝という、最高のかたちで入った松山には周囲の期待も大きく、米ツアーの公式サイトでの優勝予想ランキングでは堂々一位に挙げられる。
日本の怪物は、そんな前評判に違わぬ活躍を見せる。初日こそ首位と3打差の15位タイに終わったが、サスペンデッドとなった2日目に「64」を叩きだし暫定首位に浮上。3日目にスコアを落としたが、首位と1打差のトータル6アンダー2位タイ。タイトルを狙える位置で最終日を迎えた。