マスターズを制したことによって、これまで以上に期待を背負い、責任を感じている松山。「日本人でもマスターズで勝てることを証明できた」と今後に続く選手に期待をかける一方で、松山自身はさらなる高みを見据える。「ゴールはない。今までも目標はあまり考えたことはなかったけど、個人的には早く8勝を挙げてアジア人最多になりたい」。韓国のチェ・キョンジュが持つアジア人最多の8勝に並び、さらにその次の目標を明かしてくれた。
「グリーンジャケットは着たけど、ほかのメジャーも勝ちたい。ほかのメジャーだと優勝カップでお酒が飲めるし、そういうのもしてみたい(笑)」。優勝カップにお酒を注ぎチームと美酒に酔いしれる。そんなシーンが松山の頭の中ではすでに描かれている。今年はまずディフェンディングチャンピオンとして臨むマスターズが4月7日から始まり、その後5月の「全米プロゴルフ選手権」、6月の「全米オープン」、そして7月の「全英オープン」へと続くメジャーシーズンで、早々にメジャー2冠を狙いに行く。
そんな自身の目標と同時に、松山にとって気がかりなのが、国内男子ツアーの人気低迷だ。「日本の男子ツアーをもっと盛り上げたいなと、すごく思います」。スポーツ界ではよく耳にする国内の“空洞化”。人気・実力選手が海外へと流出してしまうことで国内の人気が低迷してしまうという問題だ。石川遼の出現、そして松山の登場。その後二人そろって米ツアーに向かい、国内ツアーの人気が一気に低迷してしまった。
13年のルーキーシーズンで賞金王に輝いた松山は、翌シーズンから主戦場を米国に移した。「たくさんの方がボクを応援してくださるのは、アメリカでそれなりの成績を出しているからだと思う」。昨年の2勝を加え米ツアー7勝は“それなり”の成績ではもちろんない。松山が世界最高峰のツアーで実力も注目度もトップクラスにあるのは確か。そこで松山が考えるのは、これからの世代の海外進出だ。
「ボクより下の人じゃないと年齢的にも体力的にもしんどいと思うので、若い選手がアメリカに来て勝つようになってほしい。ボクはパフォーマンス的なことができない人間だけど、そういうことができる選手がきてくれたらいいなと思います」。後輩と一緒に米ツアーで結果を残し、日本人男子のゴルフを盛り上げたいと強く願っている。
松山の姿を見て、海外志向が高まっている選手は多い。ところが、実際にはそのあとが続いていない。以前と違い、いまとなっては一度下部ツアーの予選会から出場し、そこで上位に入りようやく米ツアーに昇格する仕組み。遠回りする覚悟が必要だが、そこに足を踏み入れる選手が大勢出現しなければ、男子ゴルフの本当の盛り上がりは起きないと考える。
「グリーンジャケットは着たけど、ほかのメジャーも勝ちたい。ほかのメジャーだと優勝カップでお酒が飲めるし、そういうのもしてみたい(笑)」。優勝カップにお酒を注ぎチームと美酒に酔いしれる。そんなシーンが松山の頭の中ではすでに描かれている。今年はまずディフェンディングチャンピオンとして臨むマスターズが4月7日から始まり、その後5月の「全米プロゴルフ選手権」、6月の「全米オープン」、そして7月の「全英オープン」へと続くメジャーシーズンで、早々にメジャー2冠を狙いに行く。
そんな自身の目標と同時に、松山にとって気がかりなのが、国内男子ツアーの人気低迷だ。「日本の男子ツアーをもっと盛り上げたいなと、すごく思います」。スポーツ界ではよく耳にする国内の“空洞化”。人気・実力選手が海外へと流出してしまうことで国内の人気が低迷してしまうという問題だ。石川遼の出現、そして松山の登場。その後二人そろって米ツアーに向かい、国内ツアーの人気が一気に低迷してしまった。
13年のルーキーシーズンで賞金王に輝いた松山は、翌シーズンから主戦場を米国に移した。「たくさんの方がボクを応援してくださるのは、アメリカでそれなりの成績を出しているからだと思う」。昨年の2勝を加え米ツアー7勝は“それなり”の成績ではもちろんない。松山が世界最高峰のツアーで実力も注目度もトップクラスにあるのは確か。そこで松山が考えるのは、これからの世代の海外進出だ。
「ボクより下の人じゃないと年齢的にも体力的にもしんどいと思うので、若い選手がアメリカに来て勝つようになってほしい。ボクはパフォーマンス的なことができない人間だけど、そういうことができる選手がきてくれたらいいなと思います」。後輩と一緒に米ツアーで結果を残し、日本人男子のゴルフを盛り上げたいと強く願っている。
松山の姿を見て、海外志向が高まっている選手は多い。ところが、実際にはそのあとが続いていない。以前と違い、いまとなっては一度下部ツアーの予選会から出場し、そこで上位に入りようやく米ツアーに昇格する仕組み。遠回りする覚悟が必要だが、そこに足を踏み入れる選手が大勢出現しなければ、男子ゴルフの本当の盛り上がりは起きないと考える。