2003年の「全米オープン」王者ジム・フューリク(米国)が、きょう5月12日に52歳を迎えた。クラブがアウトサイドに上がって“8の字”を描きインサイドから下りてくる、一度見たら忘れない個性的なスイングが特徴の選手だ。
フューリクの個性的なスイングはこちら【写真】
92年にプロ入りし、95年の「ラスベガス招待」での初優勝を皮切りに、コンスタントに勝利を積み重ねた。03年には「全米オープン」でメジャー初制覇。10年にはフェデックス・カップ年間王者に輝いた。国際経験も豊富で、05年には国内男子ツアーの「ダンロップフェニックス」で3位に入り。欧米選抜チーム対抗戦「ライダーカップ」には1997年から9大会連続出場。18年には米国チームのキャプテンを務めている。
記録的なスコアも打ち立ててきた。2013年の「BMW選手権」の2日目には、スタートから3連続バーディを奪い前半を「28」で折り返すと、後半にも3連続を含む5つのバーディを奪い「59」をマーク。そして2016年の「トラベラーズ選手権」最終日には、そのスコアを上回る数字を叩き出す。2番でバーディを奪うと、3番ではセカンドを放り込みイーグル。6番から4連続バーディで前半は「27」。その勢いは止まらず、10、11、12もバーディを決め、なんと6番から7連続バーディ。終わってみれば、1イーグル、10バーディの米ツアー新記録となる1ラウンド最少ストローク「58」という大記録を樹立した。
フューリクの代名詞といえばその変則的なスイングだろう。まるで“8の字”を描いているように見え、「親にしか愛されないスイング」と揶揄されることもある。しかし、確かな技術に裏打ちされた一級品のショットはいまだ健在。50歳を迎えた20年には米国シニアツアー、PGAツアー・チャンピオンズに参戦。デビュー戦となった「ザ・アリーチャレンジ」で優勝を飾っている。
同じ1970年生まれのフィル・ミケルソン(米国)とは学生時代からのライバルだ。アリゾナ大学のフューリクと、ライバル校のアリゾナ州立大学のミケルソン。全米アマ、全米学生などのタイトルを次々に奪取し、プロになってもすぐにシード選手として活躍したミケルソンに対し、下部ツアーを経て米国男子ツアーに上がったフューリク。米ツアー通算17勝、ライバルから受けた刺激は小さくないだろう。
フューリクの個性的なスイングはこちら【写真】
92年にプロ入りし、95年の「ラスベガス招待」での初優勝を皮切りに、コンスタントに勝利を積み重ねた。03年には「全米オープン」でメジャー初制覇。10年にはフェデックス・カップ年間王者に輝いた。国際経験も豊富で、05年には国内男子ツアーの「ダンロップフェニックス」で3位に入り。欧米選抜チーム対抗戦「ライダーカップ」には1997年から9大会連続出場。18年には米国チームのキャプテンを務めている。
記録的なスコアも打ち立ててきた。2013年の「BMW選手権」の2日目には、スタートから3連続バーディを奪い前半を「28」で折り返すと、後半にも3連続を含む5つのバーディを奪い「59」をマーク。そして2016年の「トラベラーズ選手権」最終日には、そのスコアを上回る数字を叩き出す。2番でバーディを奪うと、3番ではセカンドを放り込みイーグル。6番から4連続バーディで前半は「27」。その勢いは止まらず、10、11、12もバーディを決め、なんと6番から7連続バーディ。終わってみれば、1イーグル、10バーディの米ツアー新記録となる1ラウンド最少ストローク「58」という大記録を樹立した。
フューリクの代名詞といえばその変則的なスイングだろう。まるで“8の字”を描いているように見え、「親にしか愛されないスイング」と揶揄されることもある。しかし、確かな技術に裏打ちされた一級品のショットはいまだ健在。50歳を迎えた20年には米国シニアツアー、PGAツアー・チャンピオンズに参戦。デビュー戦となった「ザ・アリーチャレンジ」で優勝を飾っている。
同じ1970年生まれのフィル・ミケルソン(米国)とは学生時代からのライバルだ。アリゾナ大学のフューリクと、ライバル校のアリゾナ州立大学のミケルソン。全米アマ、全米学生などのタイトルを次々に奪取し、プロになってもすぐにシード選手として活躍したミケルソンに対し、下部ツアーを経て米国男子ツアーに上がったフューリク。米ツアー通算17勝、ライバルから受けた刺激は小さくないだろう。