今年最後の海外男子メジャー大会「全英オープン」が現地時間14日(木)に開幕する。150回目を数える今大会の舞台は“ゴルフの聖地”とも呼ばれるスコットランドのセント・アンドリュースだ。
松山英樹が“トミーズ・バンカー”に何度も挑戦【現地写真】
昨年4月には松山英樹が「マスターズ」でメジャータイトル獲得を成し遂げ、日本ゴルフ界に新たな歴史を刻んだ。だがその歴史をさかのぼってみると、『クラレット・ジャック』(全英オープンの優勝トロフィー)を手にした“サムライ”は惜しくもまだ表れていない。
初めて日本勢が全英の地に立ったのは、1932年のこと。26年に日本最古のプロトーナメント「日本プロ」で優勝した宮本は、29年に日本勢プロ初の海外遠征として「ハワイアンオープン」に参戦。31年からは米本土遠征を行った。翌年、当時29歳だった宮本は予選会を突破して全英オープン出場を果たし、日本勢として初めて海外メジャーに挑んだ。
24年後と期間が空き、56年大会には陳清波、石井迪夫、林由郎の3人が出場した。そして日本勢が初めてトップ10で終えたのは76年大会。 “九州の若鷹”と呼ばれる鈴木規夫が10位タイに入った。これを機に、日本勢が本格的に出場し始める。翌77年には青木功が、78年には尾崎将司、中嶋常幸が参戦した。
有名な物語のひとつは、78年17番のパー4でのこと。中嶋が首位タイで迎えた大会3日目の17番。グリーン手前に位置するバンカーに入れてしまい、ここからの脱出に4打を要してしまった。『9』を叩いて一気に優勝争いから脱落。そして自身の海外での愛称・トミーにちなんで、“トミーズ・バンカー”と名付けられた。
松山英樹が“トミーズ・バンカー”に何度も挑戦【現地写真】
昨年4月には松山英樹が「マスターズ」でメジャータイトル獲得を成し遂げ、日本ゴルフ界に新たな歴史を刻んだ。だがその歴史をさかのぼってみると、『クラレット・ジャック』(全英オープンの優勝トロフィー)を手にした“サムライ”は惜しくもまだ表れていない。
初めて日本勢が全英の地に立ったのは、1932年のこと。26年に日本最古のプロトーナメント「日本プロ」で優勝した宮本は、29年に日本勢プロ初の海外遠征として「ハワイアンオープン」に参戦。31年からは米本土遠征を行った。翌年、当時29歳だった宮本は予選会を突破して全英オープン出場を果たし、日本勢として初めて海外メジャーに挑んだ。
24年後と期間が空き、56年大会には陳清波、石井迪夫、林由郎の3人が出場した。そして日本勢が初めてトップ10で終えたのは76年大会。 “九州の若鷹”と呼ばれる鈴木規夫が10位タイに入った。これを機に、日本勢が本格的に出場し始める。翌77年には青木功が、78年には尾崎将司、中嶋常幸が参戦した。
有名な物語のひとつは、78年17番のパー4でのこと。中嶋が首位タイで迎えた大会3日目の17番。グリーン手前に位置するバンカーに入れてしまい、ここからの脱出に4打を要してしまった。『9』を叩いて一気に優勝争いから脱落。そして自身の海外での愛称・トミーにちなんで、“トミーズ・バンカー”と名付けられた。