バックリーから3打差で最終日を迎えたキムは「失うものは何もない」と自身に言い聞かせ、アグレッシブなプレーを続けていた。17番でチップイン・バーディーを奪うと、18番(パー5)ではフェアウエイバンカーから放ったセカンドショットでグリーンを捉え、鮮やかな2連続バーディで締め括って単独首位でホールアウト。
追う立場で上がり2ホールに挑んだバックリーは17番でも18番でもスコアを伸ばせず、2位に甘んじた。残念ながら初優勝はお預けとなったが、26歳の米国人選手、バックリーの名前と存在が広く認識されたことは間違いない。
テネシー州出身、ミズーリ大学ゴルフ部時代には東南アジアを訪ね、アジアの文化に感銘を受けたというバックリーは、プロ転向後、PGAツアー・カナダで1勝、コーン・フェリーツアーで1勝を挙げた後、2022年からPGAツアーで戦い始めた。
テークバック始動時の両手の動きに大きな特徴がある。幼いころ、祖父の家にレフティ用のプラスチック製のおもちゃのゴルフクラブがあり、それを振っていたバックリーは、最初は左打ちでスイングを覚え、のちに右打ちへ変更したそうだ。
父親は大学で野球部に所属していたが、ベンチ入りさせられたことで一念発起し、医大へ転向した強靭な意志の持ち主だそうだ。
そのDNAは息子にも感じられる。バックリーは目前だった初優勝を逃した直後から敗北を潔く認め、自身のプレーを冷静に振り返った。
追う立場で上がり2ホールに挑んだバックリーは17番でも18番でもスコアを伸ばせず、2位に甘んじた。残念ながら初優勝はお預けとなったが、26歳の米国人選手、バックリーの名前と存在が広く認識されたことは間違いない。
テネシー州出身、ミズーリ大学ゴルフ部時代には東南アジアを訪ね、アジアの文化に感銘を受けたというバックリーは、プロ転向後、PGAツアー・カナダで1勝、コーン・フェリーツアーで1勝を挙げた後、2022年からPGAツアーで戦い始めた。
テークバック始動時の両手の動きに大きな特徴がある。幼いころ、祖父の家にレフティ用のプラスチック製のおもちゃのゴルフクラブがあり、それを振っていたバックリーは、最初は左打ちでスイングを覚え、のちに右打ちへ変更したそうだ。
父親は大学で野球部に所属していたが、ベンチ入りさせられたことで一念発起し、医大へ転向した強靭な意志の持ち主だそうだ。
そのDNAは息子にも感じられる。バックリーは目前だった初優勝を逃した直後から敗北を潔く認め、自身のプレーを冷静に振り返った。