「ウエルズ・ファーゴ選手権」をプレーオフで制したジェームズ・ハーンが、勝利を決めた直後、思わず涙ぐんだ。
ハーンといえば、プロゴルファーを夢見ながらデパートの靴売り場で販売員をしていた苦労人。2013年に米ツアーに辿り着いた彼が2015年に初優勝を挙げ、そして今週、2勝目を挙げたのだから、苦労した昔と比べれば、この2年は順風満帆な歩みに見える。
それなのに、勝利を決め、TV中継のインタビュアからマイクを向けられたとき、大きく顔を歪め、言葉を詰まらせたのは、なぜだったのか。彼の胸の内を紐解いてみた。
ハーンが米ゴルフ界で最初に注目を浴びたのは2013年のフェニックスオープン。名物ホールの16番のグリーン上で韓国のヒット曲『江南スタイル』を踊り、一躍人気者になった。当時の彼は31歳にしてルーキーという異色の存在。その年になるまで、一体どこで何をやっていたのかという話になり、そこで明かされたのが、靴売り場の販売員という話だった。
「カリフォルニア大学バークレー校を03年に出たあと、プロ転向してミニツアーに出ようとした。でも、ミニツアーを回るのはすごくお金がかかる。経済的な援助をしてくれるスポンサーは僕にはいなかった。だから、とにかくお金を作らなければと思い、まずはゴルフをせずに働こうと決意した。地元の広告代理店で1年、それから不動産ビジネスの資格も取って、さらにデパートの婦人靴売り場でも働いた」
ハーンといえば、プロゴルファーを夢見ながらデパートの靴売り場で販売員をしていた苦労人。2013年に米ツアーに辿り着いた彼が2015年に初優勝を挙げ、そして今週、2勝目を挙げたのだから、苦労した昔と比べれば、この2年は順風満帆な歩みに見える。
それなのに、勝利を決め、TV中継のインタビュアからマイクを向けられたとき、大きく顔を歪め、言葉を詰まらせたのは、なぜだったのか。彼の胸の内を紐解いてみた。
ハーンが米ゴルフ界で最初に注目を浴びたのは2013年のフェニックスオープン。名物ホールの16番のグリーン上で韓国のヒット曲『江南スタイル』を踊り、一躍人気者になった。当時の彼は31歳にしてルーキーという異色の存在。その年になるまで、一体どこで何をやっていたのかという話になり、そこで明かされたのが、靴売り場の販売員という話だった。
「カリフォルニア大学バークレー校を03年に出たあと、プロ転向してミニツアーに出ようとした。でも、ミニツアーを回るのはすごくお金がかかる。経済的な援助をしてくれるスポンサーは僕にはいなかった。だから、とにかくお金を作らなければと思い、まずはゴルフをせずに働こうと決意した。地元の広告代理店で1年、それから不動産ビジネスの資格も取って、さらにデパートの婦人靴売り場でも働いた」