才能溢れる若手と言われようとも、大きな注目を浴びようとも、どんなにチヤホヤされようとも、出場権が無ければ戦うことはできない。そんなツアープロとしての基本をキムはこの若さですでに痛感している。
Qスクール(予選会)が米ツアーへの“最後の一発勝負”となった2012年。キムは17歳にして挑み、20位に食い込んで翌年の米ツアー出場資格を獲得した。しかし、18歳に満たなかったため米ツアーメンバーになれず、2013年6月の誕生日を待ってシーズン残りの試合に出場したが、惨憺たる成績でシード落ち。2014年と2015年は下部ツアーで腕を磨き、2016年にようやく米ツアー参戦を開始することができた。
そのルーキーイヤーにウインダム選手権で初優勝を挙げたとき、キムが掲げた次なる目標はメジャー優勝でも世界一でもなく「この優勝でもらった2年シードが切れる前に、もう1勝挙げて、さらなるシードを獲得すること」。プレーヤーズ選手権優勝で得たシードは向こう5年間。足元をさらに強固にしたことをキムは静かに喜んでいた。
一時は首位に立ちながら、キムに及ばず2位に終わったのは英国人のイアン・ポールター。すでに41歳、世界選手権シリーズ2勝のベテランが「フロント9はとても緊張した」と興奮冷めやらぬ様子。彼の極度の緊張はシード権を意識したからこそ感じたものだった。
昨季途中で足を痛めて欠場し、今季は公傷制度に助けられて出場しているポールターはテキサスオープンで予選落ちした時点でフルシードが危うくなった。だが、選手仲間のブライアン・ゲイが公傷制度が適用されている選手のポイント計算が「おかしい」と米ツアーに申し立て、それが認められたことでポールターも救われた。
とはいえ、今後の見通しが怪しいことに変わりはない。背水の陣で臨んだ今大会。米ツアーに生き残れるかどうかの瀬戸際にあったポールターは、だからこそ極度の緊張状態に陥り、72ホール目にはシャンクまで飛び出した。「あれは考えすぎて時間をかけすぎたのがいけなかった」。日ごろの毒舌ぶりも、この日ばかりは素直な反省の弁に様変わり。
そんなポールターの必死の様相からも、キムの優勝の弁からも、ツアープロにとってのシード権の重さがひしひしと伝わってきた。
Qスクール(予選会)が米ツアーへの“最後の一発勝負”となった2012年。キムは17歳にして挑み、20位に食い込んで翌年の米ツアー出場資格を獲得した。しかし、18歳に満たなかったため米ツアーメンバーになれず、2013年6月の誕生日を待ってシーズン残りの試合に出場したが、惨憺たる成績でシード落ち。2014年と2015年は下部ツアーで腕を磨き、2016年にようやく米ツアー参戦を開始することができた。
そのルーキーイヤーにウインダム選手権で初優勝を挙げたとき、キムが掲げた次なる目標はメジャー優勝でも世界一でもなく「この優勝でもらった2年シードが切れる前に、もう1勝挙げて、さらなるシードを獲得すること」。プレーヤーズ選手権優勝で得たシードは向こう5年間。足元をさらに強固にしたことをキムは静かに喜んでいた。
一時は首位に立ちながら、キムに及ばず2位に終わったのは英国人のイアン・ポールター。すでに41歳、世界選手権シリーズ2勝のベテランが「フロント9はとても緊張した」と興奮冷めやらぬ様子。彼の極度の緊張はシード権を意識したからこそ感じたものだった。
昨季途中で足を痛めて欠場し、今季は公傷制度に助けられて出場しているポールターはテキサスオープンで予選落ちした時点でフルシードが危うくなった。だが、選手仲間のブライアン・ゲイが公傷制度が適用されている選手のポイント計算が「おかしい」と米ツアーに申し立て、それが認められたことでポールターも救われた。
とはいえ、今後の見通しが怪しいことに変わりはない。背水の陣で臨んだ今大会。米ツアーに生き残れるかどうかの瀬戸際にあったポールターは、だからこそ極度の緊張状態に陥り、72ホール目にはシャンクまで飛び出した。「あれは考えすぎて時間をかけすぎたのがいけなかった」。日ごろの毒舌ぶりも、この日ばかりは素直な反省の弁に様変わり。
そんなポールターの必死の様相からも、キムの優勝の弁からも、ツアープロにとってのシード権の重さがひしひしと伝わってきた。