87年に中嶋常幸、89年には尾崎将司がトップ10入りを果たしたが、次に大きく優勝に近づいたのは2004年の丸山茂樹だった。今年と同じシネコック・ヒルズGCで行われた大会で丸山は、初日、2日目を首位タイでラウンドする。しかし、厳しいピンポジションと強風が選手を苦しめる展開で、決勝ラウンドではスコアを落とし、トータル4オーバー・4位タイで終戦。日本人初の快挙には手が届かなかったものの、メジャー自己最高の成績を残した。
その後も片山晋呉、藤田寛之、谷口徹、石川遼らが日本を代表して出場するも、予選通過を目指す戦いを余儀なくされた。そこに現れたのが松山英樹だ。13年に初出場を果たすと、いきなり10位タイに食い込む活躍を見せる。その後、14年・35位タイ、15年・18位タイという成績を残す。16年は初めて予選落ちを喫したが、その翌年に大きなインパクトを残すことになる。
17年大会は初日こそ2オーバー・82位タイと出遅れたものの、2日目にその日のベストスコアタイとなる「65」をマーク。一気に8位タイまで順位を上げた。3日目に1つスコアを伸ばし迎えた最終日は、朝から吹きすさぶ強風のなか「66」を記録。ホールアウト時点で首位との差は1打。メジャー制覇が大きく現実味を増した。しかし、最後はブルックス・ケプカ(米国)が終盤にチャージし、4打差の2位タイという結果に。それでも日本人のメジャー最高位(前述した青木功の単独2位)に並び、悲願達成がそう遠くないことを予感させた。
今年は松山のほか、小平智、秋吉翔太、星野陸也が最高峰の舞台に挑む。今まで日本人選手が何度も跳ね返され、開けることのできなかった「優勝」という名のトビラ。 その重いトビラを開く“サムライ”は現れるか。
その後も片山晋呉、藤田寛之、谷口徹、石川遼らが日本を代表して出場するも、予選通過を目指す戦いを余儀なくされた。そこに現れたのが松山英樹だ。13年に初出場を果たすと、いきなり10位タイに食い込む活躍を見せる。その後、14年・35位タイ、15年・18位タイという成績を残す。16年は初めて予選落ちを喫したが、その翌年に大きなインパクトを残すことになる。
17年大会は初日こそ2オーバー・82位タイと出遅れたものの、2日目にその日のベストスコアタイとなる「65」をマーク。一気に8位タイまで順位を上げた。3日目に1つスコアを伸ばし迎えた最終日は、朝から吹きすさぶ強風のなか「66」を記録。ホールアウト時点で首位との差は1打。メジャー制覇が大きく現実味を増した。しかし、最後はブルックス・ケプカ(米国)が終盤にチャージし、4打差の2位タイという結果に。それでも日本人のメジャー最高位(前述した青木功の単独2位)に並び、悲願達成がそう遠くないことを予感させた。
今年は松山のほか、小平智、秋吉翔太、星野陸也が最高峰の舞台に挑む。今まで日本人選手が何度も跳ね返され、開けることのできなかった「優勝」という名のトビラ。 その重いトビラを開く“サムライ”は現れるか。