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    奇跡のイーグルで大逆転 日本人初の米ツアー優勝 青木功の1983年ハワイアンオープン【名勝負ものがたり】

    歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまで鮮やかな記憶。かたずをのんで見守る人々の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の数々の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

    配信日時:2022年12月13日 23時00分

    • PGA
    1983年当時、米ツアー「ハワイアンオープン」で優勝した青木功
    1983年当時、米ツアー「ハワイアンオープン」で優勝した青木功 (撮影:ALBA)
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    日本人として初めて米ツアーで優勝したのは、1983年ハワイアンオープンの青木功だ。右ラフから残り128ヤードをPWで打った第3打が、グリーンで1バウンドしてカップに吸い込まれたシーンは、ゴルフファンにはおなじみだ。

    イーグルでの逆転劇。ひとつ前の組でバーディフィニッシュし、1打リードでアテスト中だったジャック・レナ―が大歓声に呆然とする姿とともに、何度も映像で流れているからだ。

    その逆転劇の目撃者のひとりが、小川光明さん。日本テレビのアナウンサーとしてスポーツ中継では知られたベテランだった。小川さんが目の当たりにした青木の名勝負とは……。

    ■青木功は米ツアー10年目 この年のハワイアンオープンには6人の日本人選手が出場

    映像が日本のファンによく知られているのは、霞が関CCを舞台に行われ、日本チーム(中村寅吉、小野光一)が優勝した57年カナダカップ以来のゴルフブームがあったから。読売グループがゴルフに力を入れ、日本テレビはハワイアンオープンを中継していた。小川さんも、ワイアラエCCで仕事をしていた。

    「当時は、僕と吉田(慎一郎アナ)くんのふたりが、交代で実況と現場レポートをしていました。土曜日、日曜日を入れ替えて、翌年はその逆、という具合にね。あの年の最終日、僕はコースにいたんです」

    83年2月。青木は、米ツアー10年目。78年に世界マッチプレー選手権で優勝し、80年には全米オープンでジャック・ニクラウスと4日間死闘を繰り広げた末に2位となり、すでに日本以外でもその名が知られていた。ハワイアンオープンでも2年前の81年に3位となり、現地日本人の応援も多かった。

    この年は、その青木を筆頭に6人の日本勢が出場していた。14年ぶりの米ツアー出場となった杉原輝雄、青木同様米ツアーで腰を据えている新井規矩雄、青木の盟友・鷹巣南雄、若手の倉本昌弘、関光利晃。予選を通ったのは、初日から首位タイと好スタートを切った青木と、杉原、倉本の3人だった。

    2日目にショットが曲がりまくった青木はスコアを伸ばしきれず、首位に5打差9位タイに後退。だが3日目には2イーグル、4バーディ、1ボギーの怒涛の攻めで7アンダー。通算15アンダーで再び首位タイに浮上した。

    「テレビ中継をしているほうは、日本人がひとりでも上位にいてくれないと絵にならず、視聴率が取れないという事情はありました」(小川さん)と、関係者の大きな期待を背負って最終日を迎えた。

    ■最終日最終ホール 青木がバーディでプレーオフの状況

    80年秋に入籍したチエ(宏子)夫人が18ホール青木のプレーを見守る習慣も、すでに定着していた。ともすれば、先回りするようにコースを歩く様子も、その頃から同じ。ラウンドレポーターの小川さんも、すでに青木から紹介されてよく知るチエ夫人と、時には話をしながら歩いた。

    17番まで5バーディ、2ボギー。通算18アンダーでプレーしていた青木の最後の相手は、2打差5位から追い上げてきたジャック・レナ―だった。1組前でプレーして、9番のイーグルなどで17番まで18アンダー。パー5の18番では、イーグルパットを外してバーディとした様子を、後ろの組の青木も見ていた。通算19アンダー。青木はバーディ必須の状況だった。

    当時の日刊スポーツに、こんなコメントが載っている。「バーディを取って何とかプレーオフをやりたいと思った」。この気持ちが、ボールに乗り移ったようなショットが、左ラフからの第3打だ。当時はまだヤード表示とメートル表示が入り混じるゴルフの記事では、128ヤードと117メートルの両方が出てくる残り距離。青木はPWを握った。きれいに高く上がったボールは、ピンにまっすぐ向かっていき、手前で1バウンド。そのままカップに吸い込まれた。

    大逆転のイーグル。優勝だ。その瞬間、青木は飛び上がって歓喜し、キャディのビッグ・ブライアンとハグ。18番はお祭り騒ぎになってしまった。スコアテントの中にいたレナーが、がっくりとうなだれるのも無理もない話だ。

    当時の記事にチエ夫人のコメントが載せられていた。小柄なチエ夫人は大きなアメリカ人ギャラリーの中でグリーンが見えず、逆転イーグルの瞬間を実は見ていないという。大騒ぎに一瞬驚いていると、すぐそばにいたベン・クレンショーに肩を叩かれ、夫が勝ったことを教えられた。

    小川さんも、チエさんのすぐ横でその瞬間を見届けていた。「チエちゃんがオレに抱き着いてきたのをよく覚えています」と笑う歴史的瞬間の記憶だ。

    80年の全米オープンで、ニクラウスに敗れたときのことを「負けても勝った雰囲気になった」と、振り返っていた青木。取材現場で何度も会ううち、親しくなり「アニキ」と呼ぶ小川さんには「あそこで勝っていたらオレ、殺されていたかもしれないよ」と漏らしていたという。

    だが、その死闘を経験した青木のゴルフは「アメリカでもそろそろ行けそう(勝てそう)だな、とは思ってました」(小川さん)というところに来ていた。そして最後の最後に爆発し、勝利を手にしたのが、ハワイアンオープンだった。

    ちなみに、この晩の祝勝会はお祭り騒ぎで、ベロベロに寄った青木に抱き着かれた小川さんは、翌朝気付けば青あざがついていたと苦笑する。81年の大会終了後には、前年、入籍したチエさんと教会で挙式した思い出の地で、この年は派手に勝利の美酒に酔った。

    日本の男子初の米ツアー優勝は、丸山茂樹、今田竜二、松山英樹、小平智と続く後輩たちの先駆けとなる。これが、松山の2021年マスターズまで影響を与えたのは言うまでもない。(取材・文/清流舎 小川淳子)
    日本人として初めて米ツアーで優勝したのは、1983年ハワイアンオープンの青木功だ。右ラフから残り128ヤードをPWで打った第3打が、グリーンで1バウンドしてカップに吸い込まれたシーンは、ゴルフファンにはおなじみだ。

    イーグルでの逆転劇。ひとつ前の組でバーディフィニッシュし、1打リードでアテスト中だったジャック・レナ―が大歓声に呆然とする姿とともに、何度も映像で流れているからだ。

    その逆転劇の目撃者のひとりが、小川光明さん。日本テレビのアナウンサーとしてスポーツ中継では知られたベテランだった。小川さんが目の当たりにした青木の名勝負とは……。

    ■青木功は米ツアー10年目 この年のハワイアンオープンには6人の日本人選手が出場

    映像が日本のファンによく知られているのは、霞が関CCを舞台に行われ、日本チーム(中村寅吉、小野光一)が優勝した57年カナダカップ以来のゴルフブームがあったから。読売グループがゴルフに力を入れ、日本テレビはハワイアンオープンを中継していた。小川さんも、ワイアラエCCで仕事をしていた。

    「当時は、僕と吉田(慎一郎アナ)くんのふたりが、交代で実況と現場レポートをしていました。土曜日、日曜日を入れ替えて、翌年はその逆、という具合にね。あの年の最終日、僕はコースにいたんです」

    83年2月。青木は、米ツアー10年目。78年に世界マッチプレー選手権で優勝し、80年には全米オープンでジャック・ニクラウスと4日間死闘を繰り広げた末に2位となり、すでに日本以外でもその名が知られていた。ハワイアンオープンでも2年前の81年に3位となり、現地日本人の応援も多かった。

    この年は、その青木を筆頭に6人の日本勢が出場していた。14年ぶりの米ツアー出場となった杉原輝雄、青木同様米ツアーで腰を据えている新井規矩雄、青木の盟友・鷹巣南雄、若手の倉本昌弘、関光利晃。予選を通ったのは、初日から首位タイと好スタートを切った青木と、杉原、倉本の3人だった。

    2日目にショットが曲がりまくった青木はスコアを伸ばしきれず、首位に5打差9位タイに後退。だが3日目には2イーグル、4バーディ、1ボギーの怒涛の攻めで7アンダー。通算15アンダーで再び首位タイに浮上した。

    「テレビ中継をしているほうは、日本人がひとりでも上位にいてくれないと絵にならず、視聴率が取れないという事情はありました」(小川さん)と、関係者の大きな期待を背負って最終日を迎えた。

    ■最終日最終ホール 青木がバーディでプレーオフの状況

    80年秋に入籍したチエ(宏子)夫人が18ホール青木のプレーを見守る習慣も、すでに定着していた。ともすれば、先回りするようにコースを歩く様子も、その頃から同じ。ラウンドレポーターの小川さんも、すでに青木から紹介されてよく知るチエ夫人と、時には話をしながら歩いた。

    17番まで5バーディ、2ボギー。通算18アンダーでプレーしていた青木の最後の相手は、2打差5位から追い上げてきたジャック・レナ―だった。1組前でプレーして、9番のイーグルなどで17番まで18アンダー。パー5の18番では、イーグルパットを外してバーディとした様子を、後ろの組の青木も見ていた。通算19アンダー。青木はバーディ必須の状況だった。

    当時の日刊スポーツに、こんなコメントが載っている。「バーディを取って何とかプレーオフをやりたいと思った」。この気持ちが、ボールに乗り移ったようなショットが、左ラフからの第3打だ。当時はまだヤード表示とメートル表示が入り混じるゴルフの記事では、128ヤードと117メートルの両方が出てくる残り距離。青木はPWを握った。きれいに高く上がったボールは、ピンにまっすぐ向かっていき、手前で1バウンド。そのままカップに吸い込まれた。

    大逆転のイーグル。優勝だ。その瞬間、青木は飛び上がって歓喜し、キャディのビッグ・ブライアンとハグ。18番はお祭り騒ぎになってしまった。スコアテントの中にいたレナーが、がっくりとうなだれるのも無理もない話だ。

    当時の記事にチエ夫人のコメントが載せられていた。小柄なチエ夫人は大きなアメリカ人ギャラリーの中でグリーンが見えず、逆転イーグルの瞬間を実は見ていないという。大騒ぎに一瞬驚いていると、すぐそばにいたベン・クレンショーに肩を叩かれ、夫が勝ったことを教えられた。

    小川さんも、チエさんのすぐ横でその瞬間を見届けていた。「チエちゃんがオレに抱き着いてきたのをよく覚えています」と笑う歴史的瞬間の記憶だ。

    80年の全米オープンで、ニクラウスに敗れたときのことを「負けても勝った雰囲気になった」と、振り返っていた青木。取材現場で何度も会ううち、親しくなり「アニキ」と呼ぶ小川さんには「あそこで勝っていたらオレ、殺されていたかもしれないよ」と漏らしていたという。

    だが、その死闘を経験した青木のゴルフは「アメリカでもそろそろ行けそう(勝てそう)だな、とは思ってました」(小川さん)というところに来ていた。そして最後の最後に爆発し、勝利を手にしたのが、ハワイアンオープンだった。

    ちなみに、この晩の祝勝会はお祭り騒ぎで、ベロベロに寄った青木に抱き着かれた小川さんは、翌朝気付けば青あざがついていたと苦笑する。81年の大会終了後には、前年、入籍したチエさんと教会で挙式した思い出の地で、この年は派手に勝利の美酒に酔った。

    日本の男子初の米ツアー優勝は、丸山茂樹、今田竜二、松山英樹、小平智と続く後輩たちの先駆けとなる。これが、松山の2021年マスターズまで影響を与えたのは言うまでもない。(取材・文/清流舎 小川淳子)
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