2月の「ジェネシス招待」、そして8月のプレーオフシリーズ「フェデックス・セントジュード選手権」とシーズン2勝。夏には「パリ五輪」で日本男子ゴルフ界初のメダルとなる銅を獲得した松山英樹は、この一年をどう振り返り、また来年をどのように位置づけているのか? 本人へのインタビューで、その“想い”に迫る。(取材/高桑均、構成/間宮輝憲)
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--まずは2024年シーズンは松山選手にとって、どのような一年でしたか
「本当にいいシーズンだったなと思いますね。今年は勝ちたいという気持ちが強かったんです。もちろん、それは毎年のことなので、それ自体が特別というわけではなかったですけど」
--2月にシグネチャーイベントの「ジェネシス招待」で優勝しました
「初日を迎えるまでに、“少しずつ状態が上がってきている”のは分かっていました。いいプレーができればなという気持ちはある半面、決して得意なコースではない。どうなるだろうか、という疑問は常に抱えながらプレーしていましたね」
--最終日に「62」を出し、6打差を逆転しての勝利でした。そのなかでラウンド中の心理状態は
「これだけ差があると相手が伸ばしたら勝つことはできないし、最初はいいプレーをして終わりたいなという感じでした。それがスタートから3連続(バーディ)が取れたので、チャンスが来ればいいなと思うようになって。12番で長いバーディパット(15メートルほど)が入って1打差になっていたので、『あと1つ、2つ伸ばすことができたら勝つチャンスもあるかな』と。でも、そこからは難しいホールも続きますし、そう簡単にはいかないだろうなとも考えていました」
--あの優勝が持つ意味はどんなものでしたか
「そこまでケガもあり、なかなか思うような結果も出ず、苦しかった部分はありました。でも、あそこで勝つことができて、『まだ勝てるんだな』ということを改めて実感し、すごく自信になりましたね」
--これが米国男子ツアー通算9勝目で、アジア国籍の選手としての最多記録も更新しました。そこへの意識は
「勝てば最多記録というのは分かっていました。でも、それ以上に優勝できたということが、本当にうれしかったですね」
--シーズン序盤に優勝し、そこからモチベーション、士気の高まりはどのようになっていくのでしょうか
「早く次の1勝を、(通算)10勝に乗せたいというのはありました。高ぶるというよりは、リビエラ(ジェネシス招待が行われるリビエラCC)でのプレーをもう一度続けていけるように、そう考えてやっていましたね」
--その後も3月の「ザ・プレーヤーズ選手権」で6位、「バレロ・テキサス・オープン」で7位という結果を残し、4月の「マスターズ」、そしてメジャーシーズンへと突入しました
「やっぱりマスターズでもう一回勝ちたいですし、そこに向けて照準を合わせていきましたが、なかなか自信を持ってプレーできるところまでは戻っていかなかった(結果は38位タイ)。リビエラの最終日のようなプレーはなかなかできないんだなぁ、ということを改めて感じて、難しかったです」
--今年はチップ・インでバーディを奪うシーンもよく見かけました
「確かに多かったですけど、そこまで難しいアプローチはなかった。ラッキーだったものもたくさんありますし、特別入ってるなという感覚はなかったですね」
--6月の「全米オープン」は6位。10年ぶりにパインハースト・リゾートをプレーし優勝争いにも加わりましたが
「悪くなかったと思います。良くなってきている中でのプレーだったので、もう少し伸ばして最後は終われたら、と思っていました。ただ、なかなか思うようにはいかず苦しかった。ショット、パットともにチャンスについても入らず、逆にピンチでようやくセーブできる…というような。本当にギリギリのラインでやっていたし、う~ん、優勝に手が届く感じではなかったですね」
--トップ10も多くあった前半戦をどうとらえていますか
「下(の順位)から上がってのトップ10というのもたくさんありますし、そういうところがもう少しという感覚でした。優勝争いをしている時の得点、それを増やしていくことを、しっかりと考えたいですね」
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後半戦には大きなハイライトにもなった8月のパリ五輪が待っていた。21年に実施された東京五輪では、7人によるプレーオフで敗退してメダルを逃したが、どのような思いで決戦の地・フランスに向かっていったのか? 後編では五輪での銅メダルから、プレーオフシリーズでのシーズン2勝目などを本人が振り返る。