スタートから10数年で撤退!タイガーの栄光とともにあったナイキゴルフ
text by kazuhiro koyama
配信日時:2016年8月8日 08時00分
タイガーの鮮烈デビューから20年
ちょうど20年前。今でも1996年のタイガー・ウッズの鮮烈なデビューを覚えているゴルファーは多いのではないだろうか。
全米アマを3連覇し“ドライバーはジョン・デイリーよりも飛ぶ”とにかくとんでもない選手がいると、アマチュア時代から大きな話題になっていた。
タイガーは、プロ入りした時からすでに成熟したプレーヤーで、おおよそ新人時代というものがなかった。その年の「ラスベガスインビテーショナル」で早々と優勝し、年が明けた97年のマスターズを史上最年少で優勝した。その時の優勝スコア・18アンダーは現在も破られていない歴代最小スコアだ(※2015年にジョーダン・スピースも記録)。
タイガーはプロ入り当時、ドライバーはコブラで、アイアンはミズノ。ウェッジはクリーブランドというセッティングだった。2000年から2001年にかけて、メジャー大会を4連勝した、いわゆる“タイガースラム”の時代は、ドライバー、3W、アイアン、ウェッジともタイトリストだった。
全米アマを3連覇し“ドライバーはジョン・デイリーよりも飛ぶ”とにかくとんでもない選手がいると、アマチュア時代から大きな話題になっていた。
タイガーは、プロ入りした時からすでに成熟したプレーヤーで、おおよそ新人時代というものがなかった。その年の「ラスベガスインビテーショナル」で早々と優勝し、年が明けた97年のマスターズを史上最年少で優勝した。その時の優勝スコア・18アンダーは現在も破られていない歴代最小スコアだ(※2015年にジョーダン・スピースも記録)。
タイガーはプロ入り当時、ドライバーはコブラで、アイアンはミズノ。ウェッジはクリーブランドというセッティングだった。2000年から2001年にかけて、メジャー大会を4連勝した、いわゆる“タイガースラム”の時代は、ドライバー、3W、アイアン、ウェッジともタイトリストだった。
一方で、タイガーはプロ入りとほぼ同時にナイキと大型契約を結んでいる。ナイキはタイガーに、ゴルフ界におけるマイケル・ジョーダンのような活躍を望み、少なくとも競技生活において、それは実現されたと言っていいだろう。しかし、社会現象にまでなった“エア・ジョーダン”のようなビジネス的成功は今日に至っても生まれることはなかった。
タイガーと用品契約を結んだとき、ナイキにはクラブもボールもなく、本当にトッププロが使えるようなプロダクトが生まれるのか、様々な憶測が流れるなか、1999年にボールが登場し、2001年にはクラブも正式に発売された。現在、世界中のナイキアスリートが、ナイキゴルフのプロダクトを使用しているが、スタートは“本当に何もない、文字通りゼロからのスタート”だったのだ。
現代のビッグ3の一画、ローリー・マキロイが、ナイキの最新クラブで異次元の飛距離を放つとき、私は時折、あの当時のことを思い出す。
タイガーと用品契約を結んだとき、ナイキにはクラブもボールもなく、本当にトッププロが使えるようなプロダクトが生まれるのか、様々な憶測が流れるなか、1999年にボールが登場し、2001年にはクラブも正式に発売された。現在、世界中のナイキアスリートが、ナイキゴルフのプロダクトを使用しているが、スタートは“本当に何もない、文字通りゼロからのスタート”だったのだ。
現代のビッグ3の一画、ローリー・マキロイが、ナイキの最新クラブで異次元の飛距離を放つとき、私は時折、あの当時のことを思い出す。