フェードボールの打ち方 藤田さいきに深堀圭一郎が直接指導!【動画リンク有】
深堀圭一郎がゴルフ界を代表するトッププロの素顔とテクニックに迫る新番組『トッププロレッスン K's STUDIO』。ゲストはツアー通算6勝の藤田さいき。 今回はゲストからの質問に深堀が直接指導!藤田が大先輩の深堀に聞きたかったのは、深堀の勝負球「フェードボールの打ち方」。深堀はいったいどんな指導をするのか?
配信日時:2023年5月18日 06時53分
ボールを曲げる
藤田さいき(以下:藤田):
私実は、深堀さんが日光CCで優勝した試合を見に行っていて、日光CCは自分でも回ったことがありますし、とてつもなく難しいコースだということを知っていたので、見にいきたいと思って見に行ってました。そこで、深堀さんの技のバリエーションを間近で見ていて、カッコいいと思いました。木もせり出していますし、ラフも深く、グリーンも難しいので、そのコースをアンダーで回ってくるというのがどういうことなんだろうって思っていました。今でも目をつぶって出てくるんですけど、すごい木がせり出ていて、絶対にスライスを打たないといけない状況でしっかりその球を打たれたんですよ。
深堀圭一郎(以下:深堀):
たぶん人生の1番良い時ですね。
藤田:
すごく綺麗な球でカッコいいと思っていました。
深堀:
僕らの時は球を曲げる練習をしていましたからね。その時、砂地の場所があって、今みたいなソフトスパイクじゃなくて、ピンスパイクだったんですよ。いつもは6ミリのところ、その週は8ミリに変えたんですよ。練習ラウンドをした時にちょっと滑るなと思っていたので。2ミリ長くした分滑りにくくなるじゃないですか。当時はOKだったので、少しだけ長くして曲げようとした時に滑らないようにしていました。
藤田:
見たいラインがあるので、移動していいですか。
深堀:
昔はアイアン打たないでって言われましたね。
藤田:
寄りすぎるから本当にすごかったんですよ。
深堀:
当時5番アイアンで190ヤード前後の距離を合わせるために、左から右に曲げるボールで調整していました。左に絶対に行かせないように少し右に曲げる球を打っていました左の甲を動かさないように、
深堀:
左の手の甲に板が入っているようなイメージで左の甲の面を変えないようなイメージで振ります。というのが、僕の勝負球でした。
藤田:
逆打つ時はどうするんですか。
深堀:
逆はドローヒッターでしたけど、あんまり上手くなくて、この場合は少し右手のローテーションを使います。
深堀:
当ててしまうこともあるんですけど、ペットボトルを目標方向に置いて、右から出すか、左から出すかという練習をするんです。
深堀:
ペットボトルの左から出したり、同じところからペットボトルの右から出したりします。こういう練習をしておくと、絶対に体は開かないし、インサイドに引っ張るということで、球の出だしを確認する練習をします。ドローを打とうとして、体が開いてしまったら、絶対に右に行くから、右から通す時も絶対に壁ができるし、左からでもクラブを立てないとできないわけです。
藤田:
ありがとうございます。
深堀圭一郎(ふかぼり・けいいちろう)。1992年のプロ転向から初シード獲得までに5年を費やしたが、以降はツアーの中核選手として活躍。07年、10年には選手会長に就任した。
2000年、01年の「住建産業オープン広島」では、続けてジャンボこと尾崎将司に競り勝った。03年の「日本オープン」では、最終日に5打差を逆転して優勝し、自身初の日本タイトルを獲得。05年にはシーズン2勝を挙げて、賞金ランキングは自身最上位の3位に入った。
09年後半には、左足裏の痛みが悪化してツアーを離脱し、11年には手術を行った。翌年12年に賞金シードに復帰してから4年間シードを維持したが、16年には102位に陥落。17年は生涯獲得賞金25位以内の資格で参戦したが、賞金ランキングは91位とシード復活を果たせず。50歳を迎える18年は、復活を目指す。
藤田さいき(ふじた・さいき)プロフィール。中学2年生からゴルフを始め、高校卒業後は地元栃木県のゴルフ場で研修生となり腕を磨いた。05年の「フジサンケイレディス」でプロデビュー、翌年の「プロミスレディス」で初優勝を挙げた。10年の「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」で国内メジャー初優勝。11年に会社員の一般男性と結婚した。2022年「大王製紙エリエールレディス」で11年ぶりの復活Vを遂げた。