<日本女子プロゴルフ選手権コニカミノルタ杯 最終日◇9日◇小杉カントリークラブ(6,605ヤード・パー72)>
長年連れ添ったキャディが替わるというのは、ツアーでは日常茶飯事とはいかないまでもよくあること。そもそも毎週替える選手もいるくらいだ。
【写真】私服姿のイ・ボミ、タイの夕日に照らされて…
だが、そんな状況下にあって、イ・ボミ(韓国)と清水重憲キャディのコンビ解消はどのメディアも大きく報じた。それだけセンセーショナルだったということだろう。ボミといえば清水キャディ、清水キャディといえばボミというイメージが浸透していたことを意味する。アジア枠として出場していたジャン・ハナ(韓国)も「韓国ではキャディのことがここまで報道されることはないですよ」と驚いた。
ボミと清水氏がタッグを組んだのは2013年。いきなり同年の「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」で優勝。翌14年には3勝を挙げて賞金ランキング3位に入ると、15年に賞金女王を戴冠。16年には2年連続となる賞金女王の称号を獲得する。
だが、17年に雲行きが変わる。大きく調子を崩し、年間1勝のみ。賞金ランクは23位と低迷した。特にひどかった時期は毎日帰りの車で泣いていたという。苦しい状況の中で「夏と秋に衝突したこともありました。自分は思っていることをいえないのも嫌なので、ボミプロと腹を割って話し合い、どうにか困難を乗り越えてきました」と清水氏は当時の状況を吐露している。
長年連れ添ったキャディが替わるというのは、ツアーでは日常茶飯事とはいかないまでもよくあること。そもそも毎週替える選手もいるくらいだ。
【写真】私服姿のイ・ボミ、タイの夕日に照らされて…
だが、そんな状況下にあって、イ・ボミ(韓国)と清水重憲キャディのコンビ解消はどのメディアも大きく報じた。それだけセンセーショナルだったということだろう。ボミといえば清水キャディ、清水キャディといえばボミというイメージが浸透していたことを意味する。アジア枠として出場していたジャン・ハナ(韓国)も「韓国ではキャディのことがここまで報道されることはないですよ」と驚いた。
ボミと清水氏がタッグを組んだのは2013年。いきなり同年の「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」で優勝。翌14年には3勝を挙げて賞金ランキング3位に入ると、15年に賞金女王を戴冠。16年には2年連続となる賞金女王の称号を獲得する。
だが、17年に雲行きが変わる。大きく調子を崩し、年間1勝のみ。賞金ランクは23位と低迷した。特にひどかった時期は毎日帰りの車で泣いていたという。苦しい状況の中で「夏と秋に衝突したこともありました。自分は思っていることをいえないのも嫌なので、ボミプロと腹を割って話し合い、どうにか困難を乗り越えてきました」と清水氏は当時の状況を吐露している。