中学生時代は部活には所属せず、ゴルフに打ち込む毎日。学校へ行く前には走り込みを行い、授業が終わると、クラブを抱え、電車・バスを乗り継ぎ練習場へと向かった。常に「マン振り」で右へ左へ飛んでいくショット。「全然いい成績は残せなかった(笑)」という時代だったが「ゴルフが楽しくて」と熱中した。
当時、同じ関東地区で力を発揮していたのが畑岡奈紗だった。
「いつも『なんで、あんなスコアが出るの?』って不思議でした。8打とか差がついていて、違うコースでプレーしているのかな?っていうくらいでした」。
この時の原は、まだたくさんいるジュニア選手のうちの一人という位置づけだった。
高校は地元神奈川にある湘南学院高に進学。2年生だった2016年1月には、正式にジャンボこと尾崎将司の弟子となった。3年時に出場した「リゾートトラストレディス」は強風のため最終日が中止になり2日間競技となったものの、トータル4アンダー・16位タイでローアマに輝くまでに成長。しかしこの時も「プロとして通用するとは思いませんでした。もっと練習しないと」という一心でクラブを振り続けた。
初のプロテスト受験は17年。しかし、ここは「思い出したくもないくらい悔しかった」と語る場所になってしまう。最終日の10番ホールで、1度目のティショットが送電線に当たると、打ち直しとなった2度目のティショットをまさかのロスト。結局、この2打が足りず不合格となった。
当時、同じ関東地区で力を発揮していたのが畑岡奈紗だった。
「いつも『なんで、あんなスコアが出るの?』って不思議でした。8打とか差がついていて、違うコースでプレーしているのかな?っていうくらいでした」。
この時の原は、まだたくさんいるジュニア選手のうちの一人という位置づけだった。
高校は地元神奈川にある湘南学院高に進学。2年生だった2016年1月には、正式にジャンボこと尾崎将司の弟子となった。3年時に出場した「リゾートトラストレディス」は強風のため最終日が中止になり2日間競技となったものの、トータル4アンダー・16位タイでローアマに輝くまでに成長。しかしこの時も「プロとして通用するとは思いませんでした。もっと練習しないと」という一心でクラブを振り続けた。
初のプロテスト受験は17年。しかし、ここは「思い出したくもないくらい悔しかった」と語る場所になってしまう。最終日の10番ホールで、1度目のティショットが送電線に当たると、打ち直しとなった2度目のティショットをまさかのロスト。結局、この2打が足りず不合格となった。