「その時にボールに当たってなかったら、つまらないと思っていたかもしれませんね。でもいまも飽きずにやめてないです(笑)」
こうして、長年付き合っていくことになるゴルフの魅力にどんどんハマっていった。間もなく母の実家があるニューヨークへ移住したコガは、祖父母の家の庭でアプローチやネットに向かっての打ち込みに夢中になった。
「そんなにレベルが高いわけではなかったですが、大会に出れば優勝していました」とメキメキと腕を上げていく。そして、この日々のなか “自分の将来像”がどんどんと作り上げられた。「将来はプロゴルファーになりたい」。両親にそう打ち明けたのも、この時期だった。
そんな娘の気持ちを汲んだ両親は、ゴルフの環境が整っているハワイへ再び戻ることを決断。コガが10歳の時の話だ。こうしてジュニア時代から頭角を現し、数年後にはトップアマとして世界大会に出場する選手になった。ではなぜ、ハワイ、アメリカでキャリアを積んだ彼女は日本でプロになる道を選んだのだろうか?
「ジュニア時代は、夏休みにアメリカ本土へわたり、そこで転戦をしていました。でも移動は長いし、時差だってある。食事もハンバーグ、ステーキ、フライドチキンのような油っぽいものが続いて、美味しいけど、毎日はしんどくて…。この生活を続けるのは難しいと思いました。それで父が日本人ということもあって、日本でプロになることを決めました」
こうして2016年に日本へ。その年には、すぐに日本ツアー参戦資格を得るためにQTも受験したが、セカンドを突破することができなかった。これによりサード進出者までに与えられた単年登録の資格を手にできず、2017年は日本での試合に出場することができなかった。さらにこの17年には最終プロテストにも失敗。「アマチュアでもないし、プロでもない…。『自分は何者なんだろう?』と悩んでいた時期でした」。日本でのスタートは、華々しいものとはいかなかった。
こうして、長年付き合っていくことになるゴルフの魅力にどんどんハマっていった。間もなく母の実家があるニューヨークへ移住したコガは、祖父母の家の庭でアプローチやネットに向かっての打ち込みに夢中になった。
「そんなにレベルが高いわけではなかったですが、大会に出れば優勝していました」とメキメキと腕を上げていく。そして、この日々のなか “自分の将来像”がどんどんと作り上げられた。「将来はプロゴルファーになりたい」。両親にそう打ち明けたのも、この時期だった。
そんな娘の気持ちを汲んだ両親は、ゴルフの環境が整っているハワイへ再び戻ることを決断。コガが10歳の時の話だ。こうしてジュニア時代から頭角を現し、数年後にはトップアマとして世界大会に出場する選手になった。ではなぜ、ハワイ、アメリカでキャリアを積んだ彼女は日本でプロになる道を選んだのだろうか?
「ジュニア時代は、夏休みにアメリカ本土へわたり、そこで転戦をしていました。でも移動は長いし、時差だってある。食事もハンバーグ、ステーキ、フライドチキンのような油っぽいものが続いて、美味しいけど、毎日はしんどくて…。この生活を続けるのは難しいと思いました。それで父が日本人ということもあって、日本でプロになることを決めました」
こうして2016年に日本へ。その年には、すぐに日本ツアー参戦資格を得るためにQTも受験したが、セカンドを突破することができなかった。これによりサード進出者までに与えられた単年登録の資格を手にできず、2017年は日本での試合に出場することができなかった。さらにこの17年には最終プロテストにも失敗。「アマチュアでもないし、プロでもない…。『自分は何者なんだろう?』と悩んでいた時期でした」。日本でのスタートは、華々しいものとはいかなかった。