「当たらないと悔しかった。何に対しても負けず嫌いでした。うまくいかないときでも、なんとかしてやり遂げたいというのはありました」と、ゴルフもすぐさま上達。ところが、ゴルフ王国・熊本をはじめ、九州には大勢の強豪がそろっていた。自身の実力を客観的に知るのもこの頃だった。
「4年生のときに初めてちゃんとした試合に出ましたが、熊本でも5、6番目とか。うまく引っかかれば九州大会になんとか出られるという程度でしたね」と、成長は実感していたが、周囲の環境に驚いた。「やっぱり(勝)みなみが一番でしたし、すごいアンダーで回ってくるんです。60台の半ばとか、未知数の数字です。『なんでこんなにスコアが出るの?』と思っていました」。こういった経験が大里の闘志に火をつけた。
6年では九州のジュニア大会で優勝。中学2年では日本女子アマにも出場した。ここでは鈴木愛と同組で回り、翌年の同大会では藤田光里ともラウンド。全国区の選手のすごさを目の当たりにした。同じく2年のときには、日本ジュニアで3位に入ったが、「そこで私の中でスイッチが入りました。プロになろうと決めたのもその頃です」。
多くのジュニアがゴルフ中心の生活を送るなかで、「練習は週一くらいでした。ラウンドは土日」と控え目だった大里は、この日本ジュニアの結果をもって「もっと練習しないと」と、焦りとともにさらにやる気をみなぎらせた。4歳から始めたピアノ、学校の陸上競技も辞め、ゴルフ一本に絞った。
高校に入ると、部活での生活が始まった。「ライバルというか、いつも同学年の4人くらいのメンバーで団体戦に出たりして、すごく楽しかったのを覚えています」と、ゴルフ漬けの生活が始まった。
将来を嘱望され始め、頭角を現していく大里。ジュニア大会やプロトーナメントにも出場することが多くなり、そこで運命的な出会いをすることになる。29歳年上の大先輩、鬼澤信子だ。
「4年生のときに初めてちゃんとした試合に出ましたが、熊本でも5、6番目とか。うまく引っかかれば九州大会になんとか出られるという程度でしたね」と、成長は実感していたが、周囲の環境に驚いた。「やっぱり(勝)みなみが一番でしたし、すごいアンダーで回ってくるんです。60台の半ばとか、未知数の数字です。『なんでこんなにスコアが出るの?』と思っていました」。こういった経験が大里の闘志に火をつけた。
6年では九州のジュニア大会で優勝。中学2年では日本女子アマにも出場した。ここでは鈴木愛と同組で回り、翌年の同大会では藤田光里ともラウンド。全国区の選手のすごさを目の当たりにした。同じく2年のときには、日本ジュニアで3位に入ったが、「そこで私の中でスイッチが入りました。プロになろうと決めたのもその頃です」。
多くのジュニアがゴルフ中心の生活を送るなかで、「練習は週一くらいでした。ラウンドは土日」と控え目だった大里は、この日本ジュニアの結果をもって「もっと練習しないと」と、焦りとともにさらにやる気をみなぎらせた。4歳から始めたピアノ、学校の陸上競技も辞め、ゴルフ一本に絞った。
高校に入ると、部活での生活が始まった。「ライバルというか、いつも同学年の4人くらいのメンバーで団体戦に出たりして、すごく楽しかったのを覚えています」と、ゴルフ漬けの生活が始まった。
将来を嘱望され始め、頭角を現していく大里。ジュニア大会やプロトーナメントにも出場することが多くなり、そこで運命的な出会いをすることになる。29歳年上の大先輩、鬼澤信子だ。