他の選手に話を聞いても、1勝目を後々振り返った時、うれしさはあれど、“産みの苦しみ”を味わったという声は意外にも少なかった。14年の「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」を制し、メジャーでツアー初Vを飾った鈴木愛も、「急にチャンスが来たという感じで。それまで優勝経験もなかったし、苦労したという感じはなかったですね。奇跡みたいなものだったので」と振り返る。
だが、そこからは苦労を知ることになる。ツアー本格参戦1年目で衝撃的な初優勝を挙げたが、「たまたま勝てただけで、その時は技術もまだまだでした」と“2年目のジンクス”を恐れた。実際、15年は3度の2位こそあったものの、優勝できずに1年を終えた。「チャンスが来てもなかなか勝てない。2勝目はムリなのかもしれないと思うこともありました」。それだけに翌16年「中京テレビ・ブリヂストンレディス」で勝った時は、肩の荷がおりたような気がした。
「1勝したからこそ、『次も勝たないと』というプレッシャーを感じていました。2つ勝った後は、ポンポンという感じで優勝できました。2勝目が一番難しく感じましたね」。実際に中京テレビ・ブリヂストンを制したのと同じ年には、2度目の選手権タイトルをつかむこともできた。
「1勝目は、『絶対に勝てる』と信じていたし、簡単でした」と話すのは原江里菜だ。だが08年の初優勝後、2つ目のタイトルを獲得するまでには7年を要した。その間にはシード落ちも経験。「自信もなくなり、自分を疑ったりしましたが、それに打ち勝っての2勝目。スタミナもたくさん使ったし、初勝利より価値を感じています」。
さきの大江も、フジサンケイレディス制覇後、4年間優勝から遠ざかった。「もともと絶対に2勝はしようと決めていたんですけど、その後は何回優勝争いしても勝てなかった。それで、すごく空回りしていたことに気がついて、優勝を気にしないようにした。そしたらポンと勝てました」。これも勝ったがゆえの重圧だったのだろう。「1勝することももちろん“まぐれ”ではないですけど、2勝したら実力だと思ってもらえるかなという意識はありました。だから、優勝するなら最低2回、そう考えていました」。もともと2勝目への意識が強いがゆえの苦悩だったのかもしれない。
トーナメント会場を取材していると、選手の口から『1勝目は運、2勝目から実力』という言葉を耳にすることがある。もちろん、100人以上のトッププレーヤーが集まる大会で、1勝することも容易ではないのは当然だ。これは選手に対して、より上を目指すことを意識させる言葉のような気がしてならない。
だが、そこからは苦労を知ることになる。ツアー本格参戦1年目で衝撃的な初優勝を挙げたが、「たまたま勝てただけで、その時は技術もまだまだでした」と“2年目のジンクス”を恐れた。実際、15年は3度の2位こそあったものの、優勝できずに1年を終えた。「チャンスが来てもなかなか勝てない。2勝目はムリなのかもしれないと思うこともありました」。それだけに翌16年「中京テレビ・ブリヂストンレディス」で勝った時は、肩の荷がおりたような気がした。
「1勝したからこそ、『次も勝たないと』というプレッシャーを感じていました。2つ勝った後は、ポンポンという感じで優勝できました。2勝目が一番難しく感じましたね」。実際に中京テレビ・ブリヂストンを制したのと同じ年には、2度目の選手権タイトルをつかむこともできた。
「1勝目は、『絶対に勝てる』と信じていたし、簡単でした」と話すのは原江里菜だ。だが08年の初優勝後、2つ目のタイトルを獲得するまでには7年を要した。その間にはシード落ちも経験。「自信もなくなり、自分を疑ったりしましたが、それに打ち勝っての2勝目。スタミナもたくさん使ったし、初勝利より価値を感じています」。
さきの大江も、フジサンケイレディス制覇後、4年間優勝から遠ざかった。「もともと絶対に2勝はしようと決めていたんですけど、その後は何回優勝争いしても勝てなかった。それで、すごく空回りしていたことに気がついて、優勝を気にしないようにした。そしたらポンと勝てました」。これも勝ったがゆえの重圧だったのだろう。「1勝することももちろん“まぐれ”ではないですけど、2勝したら実力だと思ってもらえるかなという意識はありました。だから、優勝するなら最低2回、そう考えていました」。もともと2勝目への意識が強いがゆえの苦悩だったのかもしれない。
トーナメント会場を取材していると、選手の口から『1勝目は運、2勝目から実力』という言葉を耳にすることがある。もちろん、100人以上のトッププレーヤーが集まる大会で、1勝することも容易ではないのは当然だ。これは選手に対して、より上を目指すことを意識させる言葉のような気がしてならない。