試合後は岡山県の実家に戻り、家族水入らずの誕生日パーティの主役となる。「楽しくしゃべりながら過ごしたいですね。『何が食べたい?』って聞かれたので、ぶりの照り焼きって答えました。いつも帰った時に食べていて、“安定のそれ”って言いました(笑)」。ここでリフレッシュし、大会中止が続いたことで国内では自身初となるディフェンディング大会の次戦「大王製紙エリエールレディス」へと向かっていく。
22歳をどんな年にしたいか、と問われた渋野は、「23歳になった時に、『22歳はいい経験ができた』と言いたい。節目の年にできたらいいですね。その一番大きなことがアメリカツアーへの挑戦。Qスクール(予選会)もあるので、そこで結果を出すために頑張っていきたいですね」と答えた。大きな一歩を踏み出す1年のスタートは、幸先のよいものだった。(文・間宮輝憲)
22歳をどんな年にしたいか、と問われた渋野は、「23歳になった時に、『22歳はいい経験ができた』と言いたい。節目の年にできたらいいですね。その一番大きなことがアメリカツアーへの挑戦。Qスクール(予選会)もあるので、そこで結果を出すために頑張っていきたいですね」と答えた。大きな一歩を踏み出す1年のスタートは、幸先のよいものだった。(文・間宮輝憲)