何よりも変わったのがメンタル面だった。「常に勝利を」念頭に置き、普段の生活から“それは勝利につながっているのか”を問いかけた。いつしかフワフワしていた気持ちは消えてきた。何よりも「覚悟が決まった」。
もちろん、ノートをつけることで反省も生かせるようになった。優勝争いを演じながらも2位で終わった今季の「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」では、3日目に伸ばせなかったことを敗因とした。理由も考えた。「ブレーキをかけてしまっていた。突き詰めてできなかった」。ラウンド中の修正にためらいがあった。メジャーのセッティングに腰が引けていた。
だから今週はムービングデーに勝負をかけた。予選ラウンドでティショットがフェアウェイに行っていない反省を行動に移した。「ティアップを2センチ低くした」。たとえ飛距離をロスしても、2打目を打ちやすいところに置く。腹をくくり、スタートホールから試していった。その結果、3日目にフェアウェイを外したのはわずかに2回。ピンを狙うショットでチャンスにつけて、前半からのチャージにつなげた。
その甲斐あって首位で最終日を迎えることができたが、「68」の第3ラウンドにも反省を見出していた。「16番のボギーが悔しかった」。この日の7番では、その16番で外したパーパットと同じラインが残った。「出だしがスライスで最後がフック。昨日は最初のスライスに持って行かれて、右一杯くらいで打ったのが右を抜けた。その反省を生かしてカップ内で行った」。値千金のバーディは“ざんげ”していなければ生まれていなかった。
キャディを務めた大西翔太コーチからの助言もあって、アクセルを踏み続けることができた。「きょうはボードを見ないでいこう、と言われました」。自分がどの順位にいるか分からないため、バーディを奪うことを念頭に置くようになる。青木にブレーキをかけさせないようにする、大西コーチのファインプレー。その結果が大会レコードとなるトータル14アンダーという数字だった。
この優勝で生涯獲得賞金が3億円を突破した。「本当にうれしいです」。幼少期に“追っかけ”をするほど尊敬してやまない不動裕理の『13億円』という数字にはまだまだ遠く及ばないが、「不動さんへの第一歩。積み重ねて頑張りたいです」とこれは通過点でしかない。
もちろん、ノートをつけることで反省も生かせるようになった。優勝争いを演じながらも2位で終わった今季の「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」では、3日目に伸ばせなかったことを敗因とした。理由も考えた。「ブレーキをかけてしまっていた。突き詰めてできなかった」。ラウンド中の修正にためらいがあった。メジャーのセッティングに腰が引けていた。
だから今週はムービングデーに勝負をかけた。予選ラウンドでティショットがフェアウェイに行っていない反省を行動に移した。「ティアップを2センチ低くした」。たとえ飛距離をロスしても、2打目を打ちやすいところに置く。腹をくくり、スタートホールから試していった。その結果、3日目にフェアウェイを外したのはわずかに2回。ピンを狙うショットでチャンスにつけて、前半からのチャージにつなげた。
その甲斐あって首位で最終日を迎えることができたが、「68」の第3ラウンドにも反省を見出していた。「16番のボギーが悔しかった」。この日の7番では、その16番で外したパーパットと同じラインが残った。「出だしがスライスで最後がフック。昨日は最初のスライスに持って行かれて、右一杯くらいで打ったのが右を抜けた。その反省を生かしてカップ内で行った」。値千金のバーディは“ざんげ”していなければ生まれていなかった。
キャディを務めた大西翔太コーチからの助言もあって、アクセルを踏み続けることができた。「きょうはボードを見ないでいこう、と言われました」。自分がどの順位にいるか分からないため、バーディを奪うことを念頭に置くようになる。青木にブレーキをかけさせないようにする、大西コーチのファインプレー。その結果が大会レコードとなるトータル14アンダーという数字だった。
この優勝で生涯獲得賞金が3億円を突破した。「本当にうれしいです」。幼少期に“追っかけ”をするほど尊敬してやまない不動裕理の『13億円』という数字にはまだまだ遠く及ばないが、「不動さんへの第一歩。積み重ねて頑張りたいです」とこれは通過点でしかない。