テレビインタビュー、優勝者の会見、我々はずっと渋野のあとを追った。国内の試合なら、会見が終了すれば優勝原稿を現場で書いて社内に送るのが当たり前だが、原稿に手をつける暇もなく、ただひたすら全英女王となった渋野を追い、渋野の一挙手一投足を見守った。
すべてが終わったのが夜9時を過ぎており、いくつものセレモニーを終えた渋野が宿舎に戻るとき。「明日、一夜明けの会見をやるべきでは?」という話が持ち上がった。プロの了承を得てからになるのだが、日本で渋野のメジャー優勝“その後”の情報を待ちわびる人のために、現地時間の月曜日にも渋野の取材をすることになった。
その一夜明け取材をどう進めるか。渋野はすでに宿舎に戻り、その週通い詰めた近くのレストランでプチ祝勝会を行っていた。取材陣を代表して、失礼ながらそこにおじゃまし、翌日の打ち合わせをさせてもらった。終わったのが夜の11時。渋野を見送り、ホテルに帰れなくなった私は、急きょ同じホテルに部屋をとり、ほかの報道陣に翌日の取材について連絡。そこから原稿にとりかかった。日本からは、早く原稿を寄こせという連絡があったのだが、ようやく着手できたのが現地の深夜1時ごろだったと記憶している。
翌月曜日の朝10時。渋野はあのすがすがしい笑顔で我々の前に現れた。疲れもあるなかで、嫌な顔一つせず全英トロフィーを手にして写真撮影を行い、一晩明けた思いを明かしてくれた。イギリスの古い町並みが残るウォーバーンの風景をバックに写真撮影。キャディも務めた青木翔コーチとともに笑顔満開の一夜明け取材、そこから渋野はロンドンにあるテレビ朝日の支局に向かい、日本時間月曜夜のニュース番組に生出演という強行スケジュール。我々も、一夜明け取材のまとめと原稿にとりかかった。
あれから1年。今思い返しても、夢のような時間だった。記者という立場ながら、一人の日本人としてあの瞬間に立ち会えたのは、生涯消えることのない思い出だ。
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すべてが終わったのが夜9時を過ぎており、いくつものセレモニーを終えた渋野が宿舎に戻るとき。「明日、一夜明けの会見をやるべきでは?」という話が持ち上がった。プロの了承を得てからになるのだが、日本で渋野のメジャー優勝“その後”の情報を待ちわびる人のために、現地時間の月曜日にも渋野の取材をすることになった。
その一夜明け取材をどう進めるか。渋野はすでに宿舎に戻り、その週通い詰めた近くのレストランでプチ祝勝会を行っていた。取材陣を代表して、失礼ながらそこにおじゃまし、翌日の打ち合わせをさせてもらった。終わったのが夜の11時。渋野を見送り、ホテルに帰れなくなった私は、急きょ同じホテルに部屋をとり、ほかの報道陣に翌日の取材について連絡。そこから原稿にとりかかった。日本からは、早く原稿を寄こせという連絡があったのだが、ようやく着手できたのが現地の深夜1時ごろだったと記憶している。
翌月曜日の朝10時。渋野はあのすがすがしい笑顔で我々の前に現れた。疲れもあるなかで、嫌な顔一つせず全英トロフィーを手にして写真撮影を行い、一晩明けた思いを明かしてくれた。イギリスの古い町並みが残るウォーバーンの風景をバックに写真撮影。キャディも務めた青木翔コーチとともに笑顔満開の一夜明け取材、そこから渋野はロンドンにあるテレビ朝日の支局に向かい、日本時間月曜夜のニュース番組に生出演という強行スケジュール。我々も、一夜明け取材のまとめと原稿にとりかかった。
あれから1年。今思い返しても、夢のような時間だった。記者という立場ながら、一人の日本人としてあの瞬間に立ち会えたのは、生涯消えることのない思い出だ。
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